『中国共産党、その百年』

 昨日とはまったく違う、日本語の一般書を取り上げる。石川禎浩(いしかわ よしひろ)『中国共産党、その百年』(筑摩選書、2021年6月)である。世に出てからまだ1ヶ月。正に中国共産党建党100周年に当たって、その性質を考えるべく出された本である。
 石川氏は京都大学人文科学研究所教授。中国近現代史研究における我が国の第一人者である。私よりも1歳若いのであるが、私とは比べるべくもない「碩学・泰斗」と言ってよい。
 予想に違わず、一般書として、たいへんよくまとまった共産党史である。帯には「第一人者による中国共産党史の決定版!」と書かれているが、決してただの宣伝文句ではない。あぁ、同じ分野を専門にしていながら、私には絶対にこんな本は書けない、あと20年経っても無理だろう、そんな無力感に襲われる。
 この本の何が優れているかと言うと、共産党の立場から見た歴史になっていないことだ。現在、中国を研究するために入手できる本の多くは、中華人民共和国で出版されたものであって、それは必ず共産党によるチェックが入っている。共産党の考え方と合わない本は出させない。そもそも、本を書くための情報も共産党に握られていて、公正な研究自体が望めないのである。
 1例を挙げよう。陳独秀は、共産党立ち上げに大きな力を発揮した人物である。元は北京大学教授で、共産党結成時には代表者(書記)となった。ところが、国民党との共闘関係=国共合作についての考え方が、コミンテルン(国際共産党=実質的にはソ連共産党)と合わなかったため、やがて中国共産党の主流派から脱落していき、1929年11月に除名処分(党籍剥奪)を受ける。共産党の史観からすれば完全な悪者であって、共産党側の文書だけを読んでいると、どんなにひどい人だったのかと思ってしまう。
 その陳独秀について、本書ではトロツキーとの関係(思想的共通性)も含めて、当時の社会状況全般の中で描く。トロツキーもまた、その後の共産党の中では悪役そのものであり、批判すべき対象に対しては、わけも分からず「托洛茨基派(トロツキー派)」略して「托派」という言葉が投げつけられるようになっていく。しかし、冷静なのはむしろ陳独秀トロツキーであって、共産党の他の人々は、時代の流れの中で、周りに合わせながら無難な世渡りをしていったように見える。
 この辺について、本書ではかなり公平な書き方がされていると感じる。そのためには、国民党やソ連の文献まで含めて、広く史料を当たり、常に公平に物事を見つめていることが大切なのであって、それは学識の浅い人間には容易に出来ないことだ。
 この点以外にも、国共合作のあり方であるとか、抗日戦争への共産党と国民党の関わり方の異同であるとかについて、同様のことを感じずにはいられない。
 たとえわずか350頁の一般向け中共党史で、厳しい情報の取捨選択が迫られるとは言っても、私の感覚で言えば避けられない重要性を持つ事象がいくつか抜けていたりするので、その意味ではこの本も「完璧」とは言えないのかも知れない。しかし、中国共産党100年の歴史をたどるにおいて、この本の右に出るものがそうそう出るとは思えない。私も長く座右において、何かのたびにその大きな流れの本質を確認するために使うような気がする。