校庭で行われた二軍戦

(7月7日付け「学年主任だより№13」より①)


 今日は七夕。いかにも梅雨らしい天気になってきた。晴れていても、空気がじっとりと重い。
 我が家から駅まで、自転車だと10分もかからないが、雨が降っていると歩いて20分あまりかかる。帰りは濡れて帰ってもいいとして、せめて忙しい朝だけでも晴れてくれないかなぁ・・・毎日祈るような気持ちだ。
 石油を使うのにも、人の時間を奪うのにも罪悪感を感じるし、歩くと体力の維持増進にもなり、自然の力を肌で感じることは、自然に対する謙虚さを持ち続ける上で大切だと思っているので、私が家族に駅まで車で送ってもらうことはない。
 汗をかきかき、荷物が濡れるのを気にしながら駅にたどり着くと、車が後から後からやって来て、高校生か大学生くらいの若者を下ろしてゆく。「普通の人」にとっては、それが当たり前のことなのだろうな、と思う。


裏面:5月22日付け朝日新聞宮城県内版)より、伊藤正浩筆「続・みやぎ野球史再発掘」を貼り付け。見出しは「プロ二軍戦 なんと校庭でも」。
平居コメント:私はプロ野球の二軍戦が大好き。騒々しいアナウンスも、派手なパフォーマンスもなく、飲食物の持ち込みが出来るなど球場の利用ルールも緩やかで、のんびり野球を楽しむことができるからだ。それにしても、この塩高の校庭で二軍戦が行われたことがあったとは・・・びっくり仰天!!
(ブログ用補足:記事によれば、1949年7月11日に、塩釜高校の校庭でプロ野球の二軍戦が行われたらしい。この時、「巨人」と横浜DeNAの前身である「大陽ロビンス」、オリックスの前身である「阪急ブレーブス」という3チームが合同で宮城県に遠征を行い、7月9日には気仙沼小学校で巨人対大陽の試合が行われたと書いてあるのだが、残念ながら、塩釜での対戦がどことどこによるものだったかは書いていない。塩竃市のホームページにある「塩竃市の写真(昭和20年代)」には、プロ野球の二軍戦が行われた時の記念写真がアップされている。ところが、それは昭和25年=1950年のもので、巨人対松竹ロビンスだと書いてある。背景には校舎と思しき建物が写っているので、塩釜高校であるかどうかは知らず、校庭であるようだ。1年の違い、どちらも同じ「ロビンス」でありながら、「大陽」と「松竹」という親会社名の違いがあるので、記事の中の話と塩竃市HPの写真とが同じ試合に関するものなのかどうか分からない。歴史というのは調べ始めると必ず、このような史料の矛盾やずれが出てきて、後から後から謎が大きくなっていく。困ったことだ。)