学校の酒「稲章」

 最近「稲章(とうしょう)」という酒を買った。熱狂的な日本酒マニアの人たちでも、おそらくは「何それ?」というような希少銘柄である。それもそのはず、売っているのは宮城県小牛田(こごた)農林高校という学校なのだ。
 なぜなら、この酒は学校田で作っている米(酒米ではなく、ササニシキ、ひとめぼれといううるち米)を主原料として醸造したものだからである。私が買った時にもらったチラシには「生徒が『稲』を育て、生徒が『酒』を醸す」と見出しが付けられている。酒を作っているという学校が、全国にどれだけあるのかは知らない。
 もちろん、生徒は未成年なので、味見も出来ないし、酒の美味いまずいの判断も出来ない(ことになっている=笑)。そもそも、酒などは嗜好品であって、飲めない人も飲まない人もいるのだから、授業を受けている生徒全員に「酒を作れ」などというのは無理な話である。実際、米は学校田で栽培するにしても、醸造は学校がある遠田郡美里町(とおだぐんみさとまち)内の「川敬(かわけい)商店」が行っている。「黄金澤」というなかなか高品質な酒を作っている会社である。
 では、生徒はどの程度のことをしているのだろうか?チラシによれば、「仕込み実習」と「ラベル作り」が書かれている。例年は「何度か」蔵元を訪ねて仕込み実習を行うが、今年はコロナ問題で1回しか出来なかったとも書かれている。その仕込み実習というのも、杜氏の解説を聞いて、発酵している状態を観察するという程度のもので、どう考えても「生徒が醸造に参加している」という状態ではない。コロナ問題がなく、仕込み実習を何度したとしても同じことなのではないのだろうか?にもかかわらず、あえて学校ブランドの酒を作る意味というのはよく分からない。
 それはともかく、発酵状態の観察をした生徒の感想として、チラシには、「パイナップルの香りみたい!」という声が上がったと書かれている。これは実際に呑んでみるとよく分かる。俗っぽい表現であまり好きではないが、「フルーティー」という言葉が実にしっくりくる風味なのだ。ものすごく飲みやすく、「美酒」という言葉がなんとも似つかわしい。しかし、当たり前だよな、高いんだから、とも思う。私が買った「ササニシキ大吟醸・稲章」は、4合瓶で1980円である。
 近年、日本酒の質の高まりというのは尋常でない。宮城県でも、私が学生時代(約40年前)には、いい酒といえば「一ノ蔵」か「浦霞」しかなかったのに、今や「日高見」「伯楽星」「綿屋」「乾坤一」「宮寒梅」「黄金澤」などなど、甲乙付けがたいようないい酒がぞろりとある。更に、紙パックに入っているような全国銘柄でも、純米酒が珍しくない。
 純米酒であれば、少々安い酒でも、「嫌らしさ」というものがなく飲みやすい。そこで私は、日常読む酒としては、紙パック入りの純米酒を買ってきて、使い古しのペットボトルに入れ、冷蔵庫で冷やして飲んでいる。最近のお気に入りは「月桂冠」の純米酒だ。水色っぽい紙パックに入って1.8リットル約900円。十分だ。
 そう思うと、「稲章」は4合瓶で買うと単位量当たり5.5倍、1升瓶(3960円)で買うと4.4倍の値段がするということになる。確かに美味いが、なかなかのぜいたくだ。
 宮城県内で教員になって30年あまり、その間に小牛田農林高校の教員と接する機会などいくらでもあったのに、なぜ今年になって初めてこんな酒を買うことになったかといえば、そもそも、この学校が酒造り(創立130周年記念事業)を始めてまだ2年目だということもあるが、直接にはなんとコロナなのである。
 この酒の引き取り手として学校が期待していたのは、同じ町内の飲食店であった。実際、1年目は町内の飲食店が買ってくれたそうである。ところが、コロナ禍で外での飲食、特に飲酒が問題視されるようになった。宮城県は4月に独自の緊急事態宣言を出して、飲食店に酒類の提供自粛を求めるようになった。その結果、「稲章」の需要も激減し、学校が在庫を抱えるようになった、というわけである。
 私が買った頃(先月の半ば過ぎ)、500本だか5000本だかの在庫があると言って、旧知の某先生が頭を抱えていた(全国の日本酒ファンの皆さん、一銘柄たりとも飲んだことのない酒が存在するのは許せないという方、学校に問い合わせたら多分まだありますよ)。
 そう言えば、小牛田農林高校では現在、山田錦や蔵の華といった酒米の栽培に挑戦しているそうである。教員の中に、誰かそちらへと強力に誘導している人がいるのでは?と勘ぐりたくなる。