網走の印象

(話の順番がまったくデタラメでごめんなさい。)
 網走は、人口34,000人。石巻の隣町、東松島市が39,000人だから、それより5,000人も少ない。ちなみに、私が住む石巻市は138,000人、勤務する塩竃市は52,000である。オホーツク海沿岸の中心都市とは言っても、本州で言えば「小都市」に過ぎない。ちなみに「中心都市」と言うのは、主観的なものではなく、総合振興局(旧支庁)の所在地だということである。人口だけで考えれば、同じ管内でも北見市(115,000人!)の方が圧倒的に大きい。旭川方面から上川までは行ったことがあり、釧路方面から浜小清水までは行ったことがあったが、網走には行ったことがなかった。
 着いてみれば、意外に大きな町である。駅は閑散としているし、昔からの商店街も半ばシャッター通りと化してはいるものの、ホテルを中心に、背の高いビルも目につく。どう見ても、東松島以下とはとても思えない。郊外には、全国展開している大型店舗の並ぶ地域があって、この構造は今の日本の都市として例外ではない。
 私は、中学校2年の夏に、宮城県から兵庫県に引っ越した。どちらでも大都市近郊に住んだのだが、その場合の大都市とは、宮城が仙台、兵庫が姫路であった。当時、仙台の人口は60万人、姫路は40万か45万くらいであったと記憶する。この15ないし20万の人口差が大きいか小さいかはよく分からないが、当時の私には似たり寄ったりの町に見えた。ところが、いざ生活してみると、仙台の方が圧倒的に機能的であった。機能的というのは、いろいろなもの、特に当時の私が実感したものとしては、書店、地図店、音楽会が充実していたということである。その時私は、その違いが人口の違いではなく、「中心都市」であるかどうかの違いであると思った。
 さて、網走で私が最も印象に残ったのは、網走湖網走川の美しさであった。特に網走川はいい。網走川とは、網走湖からオホーツク海までのわずか数㎞しかない川なのであるが、私の大好きな「河原のない川」なのである。川幅いっぱいに滔々と豊かな水が流れる。しかも、川幅が結構広い。私は今回訪ねることを前提に地図を見つめるまで、網走に網走湖という湖があることさえ知らなかった。能取湖サロマ湖の印象が強すぎるのだろう。

 次はオホーツク海である。私が訪ねた時がたまたまだったのかも知れないが(聞けばそうではないらしい)、本当に穏やかな海であった。斜里から網走を経て、更に宗谷岬に至るまで、網走から能取岬のあたりを除き、延々と長い砂浜が続く。そこに打ち寄せる波はせいぜい15㎝くらいで、まるで瀬戸内海のようだ。流氷の季節に、その相貌がどのように変わるのか、次は2月頃に来てみたいなと思った。
 網走市内を代表する観光地というのは、網走刑務所、天都山、モヨロ貝塚が御三家である。モヨロ貝塚には行かなかった。網走に着いた直後、Nさんは最初に天都山に案内してくれた。まずは網走地方全体を広く眺めて把握できるように、という配慮からだったと思う。しかし、残念ながら高温多湿のため、遠景は霞み、その真価を味わうことは出来なかった(この後で行ったサロマ湖も同様)。
 網走刑務所は、網走駅にほど近い所にある。しかし、これは現在、実際に使われている刑務所であって、昔、宮本顕治氏などが収監されていた、いわゆる「網走刑務所」ではない。いや、場所は昔から変わっていないのだが、昔の建物は、駅から歩いて1時間ほど離れた山の中腹に移設され、「博物館・網走監獄」として公開されている。現在の網走刑務所は、門の所までしか行けない(なぜここに刑務所が作られたかは「ブラタモリ 網走」の説明が明快)。
 博物館・網走監獄には、農作業用の刑務所であった二見ヶ岡刑務支所の建物も含めて、昔の建物が保存されている。そのうち8棟が国の重要文化財、6棟が登録有形文化財に指定されている。バスの便が悪く、私は歩いて行き、バスで戻ったのだが、計画性のなさも災いして、見学時間が1時間15分しか取れなかった。これはなかなか大変。言い方を変えれば、それだけ見るものがあるということである。建物ひとつひとつが、全体として見ても、細部に注目しても、本当に美しいものである。やはり、昔の建物は、大量生産品の寄せ集めでないことによる、丁寧で個性的な美がある。汗をかきながら、なんとか1時間15分で回ったものの、本当は2時間あるといいな、と思った。
 また、これは網走だけではなく、今回訪ねた場所全体を通して言えることだが、広大な畑の存在に安心を覚えた。作られているのは、ほとんどが麦(小麦も大麦も)、ビート(てんさい)、ジャガイモ、タマネギ。牧畜(牛)も盛んだ。とにかく、日本全体が、食えることは当たり前、食料がどこでどのように作られているかなんて考える必要がない、食料はいつも容易に手に入るものなのだ、と考えていることを、日頃から極めて異常な、究極の平和ぼけだと考えている私にとって、その光景は本来あるべき光景なのである。
 しかし、そこで行われているような大規模農業は、当然のこと機械によって成り立っている。とてもではないが、人力であれだけの畑を管理できるわけがない。石油の大量消費によって食糧生産をすることは「本来」ではない。巨大なコンバインが麦の刈り取りをしたり、牧草のロールを作ったりするのを見ながら、胸中は複雑なのであった。