コロナに関する文科省通知の問題(2)

 昨日の新聞に載った9月10日の文科省通知について、所感を述べることを目的としつつ、昨日はその前置きのような所で終わってしまった。さてさて本題。
 今回の通知は、新型コロナウイルスに感染して出席停止になった中学生がいた場合、それが高校に知られると、入試において不利な扱いを受けるかも知れないという心配に基づいている。この考え自体、私にとってはびっくり仰天だ。
 過去に新型コロナウイルスに感染したことが、高校入学後の生活に問題をもたらすことなどあり得ない。治ってしまった生徒から新たな感染者が出たりはしない、むしろ自ら獲得した抗体をしっかり持っているわけだし、感染経路不明や家庭内感染が多いことからして、感染したことがルーズな生活態度を間接的に証明するということもないだろう。本当にそれを問題にして、不合格にする高校などあるのだろうか?
 ただ、文科省が危機感を感じて通知を出すくらいだから、そのような高校の存在を感じさせるような何かがあったのかも知れない。では、あったとして、今回の通知は妥当かというと、やはり妥当ではない。文科省が出すべき通知は、「出席停止」を内申書に書かないことで、感染そのものを完全になかったことにすることではなくて、高校に対して、「コロナ感染を理由として不合格にしたりすることのないように」という通知を出すことであった。組織としての高校は、たとえ一部に問題のある高校があったとしても、やはりネトウヨや偏狭なる自己陶酔型正義漢とは違うのであり(違わなければ、そもそも設置を認可した当局が悪い)、それが理解できないとは思えない。
 今回の通知は、コロナ感染が隠すに値するものであることを文科省が認めるようなものである。感染のリスクは誰にでもあるのだ、恥じるべきことでも、隠すべきことでもないのだ・・・公権力は、むしろそのようなメッセージをこそ発するべきである。
 そもそも、内申書に「出席停止」を記録しておく必要があるのだろうか?ということも、一応考えておこう。
 おそらく通常は、「(A)年間の授業日数」「(B)出席停止等の日数」「(C)出席すべき日数」「(D)欠席日数」「(E)登校日数」という順番で記録されているのではないかと思う。A-B=C、C-D=Eである。意味するところは、学校ではA日授業をしましたが、学校の都合により(←ここ大事)C日しか登校できない状況にありました、B日分はなにしろ本人の責任ではなく、学校の都合なのですから、その分の勉強について不足があっても目をつぶって下さいね、自分の都合で休んだD日分については、あくまでも自分の都合なのですから、その分の学習に問題がある場合はそれ相応の評価をしてもかまいませんよ、ということであろう。
 ま、これは理屈をガチガチに考えれば、というだけの話である。実際には、学力は成績に表れるのだし、2日や3日、いや、1週間や2週間学校に来なかったからと言って、それが実感できるほどの差として表れることなんかないのだから、書かなくても困らないような気はする。記憶が不確かなのだが、高校が企業や大学に送る調査書は全国統一様式であるが、中学校が高校に送る内申書は各県で決めており、宮城県は元々、出席停止に関する記載がなかったのではないか・・・な?
 ただ、データをどのように使うかは、あくまでも受け取った側の問題であって、合否判定のためだけではなく、入学後の指導等、使い方さえ間違わなければ、何かのために情報というのはあって困るものでもない。だとすれば、なおのこと、文科省がすべきことは、情報の隠蔽のようなことを中学校に勧めるのではなく、その情報の使い方について高校側に注意を促すことであるはずだ。
 と書いてくれば、賢明なる読者の中には、感づかれた方も多いであろう。今回の通知というのは、不都合になりそうな情報は隠す、できれば抹消する、そもそも残さないという、現政権がこの数年間とり続けてきた姿勢が、いつの間にか中央省庁の隅々まで浸透し、血肉化されていることを露呈したものなのではないか?・・・私にはそのように思われる。