富士山の「初冠雪」

 言葉というのは定義しないと意味をなさないが、その定義というのは常に難しいものである。それにしても、富士山の初冠雪が「取消」になるとは・・・。
 このブログ、いや、9月15日付け「学年主任だより」の中でも触れたが、今月7日に、昨年より3週間早く富士山の初冠雪が発表された。ところが、昨日、それが取り消されたというニュースが流れた(毎日新聞山梨版)。理由は、山梨の場合、初冠雪は「富士山頂の日ごとの平均気温が最高を記録した後に、甲府地方気象台から職員が目視できた場合に発表」すると決まっているかららしい。今年の場合、8月4日に9.2℃を記録して以降、それを上回る気温が観測されていなかったので、9月7日に初冠雪を発表したが、今月20日に10.3℃が出たため、初冠雪の定義に反することになり、取り消したのだそうだ。
 なるほど、規則というか、定義というものに忠実に従うならば、それは当然の措置である。しかし、普通の人は違和感を覚えるのではないだろうか?既に夏の盛りは過ぎてしまい、季節は冬へと向かっている。なのに、今回の冠雪を、昨冬の続きと見るのは不自然である。これは明らかに「初冠雪」の定義に問題があるのだ。
 近年、地球温暖化の影響で、異常気象が「異常」ではなく、「日常」化している。例えば今年は、3月にヨーロッパで軒並み夏日を記録、日本でも、3月の平均気温が例年を3~4℃上回り、3月としての最高気温記録を更新した都市が続出した。今や何が起こってもおかしくない。例えば、5月の連休あたりに年の最高気温が出るという可能性は否定できないだろう。その場合、寒さがぶり返して5月半ばに雪が積もると、それが「初冠雪」ということになる。やはり違和感が大きい。
 「日ごとの平均気温が最高を記録した後」とするから、例外的な気温の上昇によって「初冠雪」が振り回されるのだ。「平年の1日の平均気温が」と決めれば、今年のような、或いは前段で想定したような不自然な「初冠雪」は発生しない。気象が滅茶苦茶になれば、そもそも「初冠雪」を観測・発表することの意味さえ薄れてしまうのかも知れないけれど、やはり季節の移ろいを様々な自然現象で実感するというのは、奥ゆかしい日本の文化である。変な定義によって気象現象の意味を失わせるのではなく、実感と一致する定義を定めてほしいものである。さほど難しいことには思えない。