偉大なる土の力

 実家に小さな畑があって、体の不自由な母の代わりに、Sさんという父の元同僚が野菜を植えてくれているという話は、多分書いたことがある。そのSさんを真似て、石巻の我が家でも2坪に満たないような小さな畑を作り、気が向いた時に何かを植えている。
 今年は家庭菜園の定番で行くぞと、ミニトマトを4本とキュウリを2本植えた。トマトはアイコというのが2本、ジャングルトマトというのが2本である。いつもできずにいた「記録」を今年こそはとつけることにした。それぞれに何個のトマト、キュウリがなるかという記録である。かなり気温が下がってきた今でも、少しずつは実を付けているのだが、もう数は少ないし、すぐに落ちてしまって、どの株で成ったのか分からない場合も多いので、数日前で記録は止めた。
 さて、キュウリが6月22日、トマトが同27日に採れ始めて3ヶ月、この間に採れたのは次のとおりであった。

 アイコ      649個(東南:339個  西南:310個)
 ジャングルトマト 423個(北東:233個  北西:190個)
 キュウリ     49本 (中東:27本   中西:22本)

 当然、Sさんが植えた実家のトマトも実を付けている。Sさんもそうそう頻繁には来ないし、体の不自由な母は収穫がままならない。そこで、週末に私が収穫をすることになるのだが、これがすさまじい。トマトの「元気さ」がまったく違うのである。蔓はもりもりと育っている感じがするし、成る実の数も桁違い、しかも、ひとつの実が我が家で採れる実の2倍以上の大きさである。そして美味い。皮が薄く、甘みが強いのである。
 母がぽつりと「お父さん土作り一生懸命やったから・・・。遺産みたいなもんやなぁ」(母は関西弁)と言った。
 確かにそうなのだ。実家も我が家も、植えたのはホームセンターで買ったアイコの苗である。我が家ではトマト用の肥料を少しやったが、実家では何もしていないという。それでいてこれほど収穫に大きな違いが出るのは、「土」が全然違うからなのだ。
 以前、『奇跡のリンゴ』(石川拓治著、幻冬舎、2008年)という本を読んだことがある。「『絶対不可能』を覆した農家・木村秋則の記録」という副題が付いている。ここで言われている「絶対不可能」とは、農薬も肥料も使わないリンゴ作りだ。農薬散布をした時に妻が体調不良を起こすことをきっかけに、木村は無農薬のリンゴ作りを志す。木村のリンゴの木に群がる害虫との戦いは壮絶を極めた。何年経っても上手くいかず、追い詰められて自殺しようと岩木山麓の林に入った時、木村は土の違いに気付いた。
「自分は今まで、リンゴの木の見える部分だけ、地上のことだけを考えていた。目に見えないリンゴの木の地下のことを考えていなかった。堆肥を与え、養分を奪われないように雑草を刈ることしかしてこなかった。葉の状態ばかりが気になって、リンゴの根のことを忘れていたのだ。(中略)この柔らかな土は、人が作ったものではない。この場所に棲む生きとし生けるものすべての合作なのだ。(中略)自然の中に、孤立して生きている命はないのだと思った。ここではすべての命が、他の命と関わり合い、支え合って生きていた。そんなことわかっていたはずなのに、リンゴを守ろうとするあまり、そのいちばん大切なことを忘れていた。」
 このような宗教的回心とも言うべきことを経験した木村は、害虫の駆除ではなく、自然を取り戻す作業を始める。その結果が、切っても変色しない、腐ることもない「奇跡のリンゴ」だ。「土」と言うと、私はこんな話を思い出す。
 実家のトマトと我が家のトマトを比べながら、土の持つ力の偉大さ、自然の豊かさというものに圧倒されるような気分になる。石巻の我が家の土地は、地盤強固の代わりに、かちかちの粘土層から成っていて、畑を作るためには無理矢理掘って外の土を入れるしかない。面積はそこそこあるものの、その作業はなかなか大変だ。とりあえずは、今ある2坪に満たない畑の土をどうすれば肥沃にできるのか。いろいろと工夫してみよう、と思っているところ。