喜んでいる場合ではない・・・真鍋氏のノーベル賞

 アメリカ国籍の元(?)日本人・真鍋叔郎氏が、ノーベル物理学賞を受賞するという。そもそも、ノーベル賞というものは世界人類の幸福実現に貢献した人に与えられるはずの賞なので、それが何人であるかはどうでもいい話だ。日本人が受賞したからと言って、私のような普通の日本の価値が高まるわけでもない。例によって、「日本人が!」という論調の発言・報道に、私は斜めの姿勢をとる。
 さて、氏は1960年代に、コンピューターを用いて地球の気候を再現する「気候モデル」という手法を確立、世界に先立って、二酸化炭素の増加が温暖化を引き起こすことを予測したことが、受賞の理由らしい。現在、御年90歳。ノーベル賞は故人には与えられないことになっているので、ご存命でよかった。それにしても、研究成果が出てから受賞まで60年。科学の価値がいかに測りがたいかがよく分かる事例である。報道によれば、氏にも人から理解されない不遇の時期があったらしい。
 昨夜のテレビのニュースでは、当然のように、真鍋氏の受賞を大々的に取り上げていた。受賞の連絡が入って早々、NHKが単独インタビューにこぎ着けていたのは、いかに「公共放送」とはいえどもびっくりだ。
 90歳とは思えない矍鑠とした姿は羨ましく、魅力的だ。しかし、今回の受賞がいかにも嬉しいといった様子には、気持ちとして分かるには分かるが、やや強い違和感も覚えた。
 なぜなら、氏が半世紀以上前に温暖化の予測をしたにも関わらず、人類はほとんど無為無策のままに現在に至っているからだ。確かに、京都議定書やパリ協定は誕生した。しかし、それが実効性を持ったかといえば、甚だ怪しい。人は、自分たちが地球を汚染しているということをごまかし、言い訳の材料を作って罪悪感を軽減させることにばかり血道を上げているように見える。リサイクル然り、電気自動車や水素自動車然り、二酸化炭素の地下貯留然り・・・。
 温暖化の危機を予想した人にとって最高の栄誉は、ノーベル賞ではなく、自分の指摘に基づいて対策がとられることではないのだろうか?だから、受賞のインタビューで、私は不満をこそ露わにして欲しかった。「自分が苦労の末、こんな手法を生み出して予測をしたにもかかわらず、なぜ人々はそれを重大視せず、今もなお呑気に繁栄を謳歌していられるのか」と。
 科学者として最高の栄誉を受けることになった直後の興奮の中で、喜びが口に出るのは仕方がないかも知れない。しかし、時間の経過とともに冷静さを取り戻すことで、そんな不満を抱くようになってくれることを私は期待する。ノーベル賞受賞者だからこその発言の重さもあるはずだ。それを大いに利用して欲しい。受賞に至る2ヶ月の言動を、興味深く見守ることにしよう。