制服の葛藤

(11月16日「学年主任だより№26」より②)


【意見・質問にも答えます・・・続・学年集会大復習】

 予告通り、復習のために諸君の作文から一部を紹介しておこう。

「最近、3年生全体で緩んでいるのは自分自身も分かっていたから、こういう集会を開くのは正しかったと思う。だけど、本気で直したいんだったら、もう少し口調を強くして言ってもよかったと思う。それぐらいのことをしないと直らないと思います。」
(平居:人にはそれぞれ個性というものがある。私は、動物的、ヤクザ的には怖くなれない人間だ。しかし、私が穏やかに話す理由は、それだけではない。人から怖く、強く言われなければできない人は、そういう人がそばにいないと緩む人であり、自分の力では自分を律することが出来ないということになる。私は諸君にそうなって欲しくないのだよ。)

「いつも学校でスカート短いと怒られるけど、家では長いのダサいと言われるので、怒られるのも嫌だけど、ダサいのも嫌だと思った。校則は守らなきゃいけないものだけど、そもそも、どうして校則が膝下でなければならないのだろうと思ってしまいました。」
(平居:制服は、どのようなデザインにすれば諸君が最も美しく見え、世の中から高く評価してもらえるか、という観点で決められる。当然、人の感じ方は千差万別で、先生だって考えが一致しているわけではない。だから、学校は最大公約数的な選択をするしかない。会社の制服だって同じだ。自分の感性と合わないことはあって当然だが、それが守らなくてよい理由にはならない。)

「ルールは守るためにあるから、守るべきだと思った。」
(平居:ええっ?!ルールを守ることが目的になってはいけない。ルールは円満な社会生活を送るために必要だから作られるのだ。制服規定の必要性とは・・・上の通り。)

「集会の最後に行う服装チェックは意味がないと思います。理由は、先生たちが思っている以上に自己中心的で、はっきり言ってアホだから。私は、先生方と同じで、スカートをまくる行為、第1ボタンを開ける行為などは、学校のイメージに関わることだと思うので、私はやったことがないし、やりたいとも思いませんが。どんな話をしてもムダだと思います。」
(平居:制服の着こなしが学校のイメージに関わるというのは前の通り。それにしても、生徒自身にここまで言われてしまうと・・・困ったな。)

「1、2年生の女子がスカートを短くしているなと、登校時、毎回感じています。」
(平居:1、2年生が「3年生も短いよ」と言うのは許されるが、3年生は「1、2年生も短いよ」とは言えない。上位者は常に基準であり、模範であることが求められるのは常識だ。)

「何回言ってもダメなら、ペナルティを付けたら良いと思いました。リスクがないから校則を破るのであれば、何回繰り返したらテストで何点減点するとか、分かりやすい罰があればいいと考えました。」
「学校で制服を着崩して、バイトや会社では着崩さないのは、自分への利益(お金)が手に入るか入らないかだと思います。」
(平居:利益になることはする、ならないことはしないというのは悲しくないかな?「イメージアップ」だって利益ではあるのだが、これら二つの方がより一層直接的で、視野の狭さ(射程の短さ)というのを感じてしまう。より遠くを見られるようにするのが「勉強」だ。)

「私は、学校に来て授業を受けることは権利だと思うので、それを有効活用しないのはもったいないと思います。大人になってから、勉強をしなかったことを後悔する人も多いので、今のうちに、学べることはしっかり学びたいと思いました。」
(平居:1年生の時以来私が言っていることで、その通りだと思う。頑張ってね。)

「現代文の授業で平居先生が、「6組は欠席者が少ないからすばらしい。他のクラスは多いんだなぁ」と何度も話すが、これが当たり前なのではないかと正直思っていた。しかし、この当たり前が実は意外と難しいことであり、できることは実はすごいことであると考えた。」
(平居:当たり前のことが当たり前に出来ることは当たり前ではない。基本を徹底的に身に付けることは難しく、奥深い、というのも同じこと。)

「相手のやっていることを見てからではなく、自分で考えて行動していけるようになるべきだと思う。」
(平居:このような発想が出来るのはエラい!!世の中には、その場の状況を見ながら判断しなければならないことと、周囲に流されずにしなければならないことがあるのだが、どちらかと言えば後者が難しいからだ。「1、2年生も・・・」「他校生も・・・」ではないよね。)

「自分はちゃんとしているのに、ちゃんとしていない人のせいで怒られて嫌です。今まで、周りの人がスカートで怒られている時、なんで一回で直そうとしないんだろうと思いました。」
(平居:同様の意見がいくつもあった。本当にごもっとも。私たちも、きちんとしている人たちに不愉快な思いをさせるのは不本意なので、個別に対応するのがよいのは分かっているのだが、残念ながら、1学級40名、授業で200名、学年で350名を受け持っているという日本の学校特有の事情から、個別対応できるのは各クラス1~2名の場合だけだ。今回の学年集会は、個別対応の限界を超えたということ。いろいろ違反している人たちに、ぜひこんな不満を分かって欲しいものだ。)

「私はあまりスカートを短くしたりはしていないと思っているけど、最近、自分の周りの人たちの制服の着こなしが変わってきているのは感じていました。制服で外を歩いたりすることは、学校の顔を身に付けながら歩いているということなので、学校の顔に泥を塗るような真似をしないようにしたいと思いました。自分のことだけでなく、他のことも考えて、頭を使いながら残りの生活を過ごしていきたいと思います。」
「残り60日の学校生活くらい、制服はきちんと着こなした方がいいと思った。先日、駅の階段でころんだおばあちゃんを助けた時、「きれいな赤いネクタイね!!」とほめてもらった。この制服の価値を下げたくないので、かっちり着たいと思う。」
(平居:たいへん立派。)

「自分の視野の狭さを自分で理解できているだけ、私は1年生の頃よりも成長したと思った。学ぶ話をされた時、自分が知りたいことを、生きている間にどこまで学ぶことができるのだろうかと思った。私もスマホ依存症になりつつあると思った。内面を磨いていくと自然と外見も磨かれていくというのは、性格であれば表情に、生活であれば清潔感や健康面に出てくると思った。それ自体が個性でもあると思った。」

「私は私自身が、たかが校則も守れない幼稚な子じゃなくてよかったと思いました。私達生徒を愛してくれる先生たちに出会えて良かったと思います。そして、先生たちが生徒を愛してくれていることに気づける心があって良かったと思います。それに気づけない生徒たちはかわいそうな子供です。愚かな子供達です。」
(平居:う~~ん、これは優れた「詩」だな。)

「学校に来る日が60日しかないということに驚いた。この限られた60日間で、高校生らしいことができるのはあと少しなので、スマホを触っている場合ではないなと思った。今からでも内面を綺麗にできるように行動したいと思った。私はまだ進路が決まっていないので、進路が決まり学校を休みがちな人に対して、早起きしなくていいのはいいなぁと思っていたのだが、冷静に考えたら、進路が決まり学校に来なくなる人は、自分から目標を達成したら気が緩み、だらしなくなってしまうとアピールしているようなもので、貴重な高校生活を無駄に浪費しているだけではないかと気付いた。あと60日という残り短い日数だが、今ここで気付けてよかったと思った。」

「見た目のきれいな腐ったお菓子と、変な色したおいしいお菓子、私も中身のおいしい方がいいと思った。中身を磨くように頑張ろうと思う。」

「彼氏を作るために内面も磨こうと思います。」
(平居:すてきな彼氏が見つかるといいな。彼(彼女)の質は自分の質を反映すること、お忘れなく。)

 学年集会の翌日、塩高生のマナーについて苦情の電話が入った。学年は分からないが、市内の路上でゴミのポイ捨て等が見られるという。服装(身だしなみ)や欠席だけではなく、良識に基づく、常識ある行動を・・・。世間の評価は、良くも悪くも諸君自身にはね返る。