環境問題の議論をするために

 先々週の土曜日、COP26が閉会した。本来は金曜日閉会の予定であったが、石炭火力発電所をどうするかなどの文言調整が難航した結果、1日延長となった。世界120ヶ国から非常に高い地位にある人を含めて、25000人以上が集まった巨大会議である。その全員ではないのかも知れないが、滞在を1日延ばすということが可能だとは信じがたい。
 多くの報道に接したが、気になった新聞記事に触れておこう。どちらもたまたま毎日新聞である。
 一つは、11月4日のもの。COP26に出席した各国首脳や企業家らの専用機が、400機に上ったため、イギリスのメディアが強く批判しているというものだ。私が今日この記事に触れるのは、本当にケシカランなあ、というわけでは必ずしもない。実に単純に、無邪気にびっくりしたということである。
 日本の首相が政府専用機で外遊する時、不測の事態に備えるために、飛行機は必ず2機で行くという話は聞いたことがあった。この記事を読むと、アメリカ大統領の外遊には5機が飛ぶらしい。しかも全て大型機だ。ワシントンとロンドンを往復した時に排出されるCO₂は約1000トンだという。これを驚かずにいられようか。びっくり!!
 もちろん、燃料の大量消費=CO₂の大量排出は非常にケシカランのであるが、何しろ多忙を極めている方ばかりだということは想像が付く。専用機でも使わなければ会議に出られないのであれば、それは仕方がないということにしよう。本当にそれがケシカランかどうかは、会議の成果にかかっている。たとえ膨大な石油を燃やして専用機で集まったとしても、その合意によって、石油の消費が劇的に抑えられるのであれば、やむを得ない消費だということになるだろう。
 しかし、今回なんかはずいぶん深刻な議論が行われたようで、最後に議長が涙を流していたのには心動かされたが、日々目にしている「人間の欲望」の強さを思うにつけ、期待は禁物だという気が兆してくる。
 二つ目は、21日(日)に「時代の風」というコーナーに載った総合研究大学院大学長・長谷川真理子氏の文章である。見出しは「COP26閉幕 危機感薄く遅れる日本」。氏は毎週連載していて、私はきちんとした批判精神と良識を持った方だなぁ、と思いながら、よく読んでいた。ところが、今回はまったくお粗末。全体の5分の4くらいのスペースでCOP26の概要を説明し、最後の5分の1でまとめというか、私見を述べているのだが、そこには例えば次のようにある。
環境保全と経済は対立するものではない。世界は、地球環境を守ることを大目標に、それを経済発展の糧にしようと発想転換している。地球環境の危機は一刻も早く解決へと向かわねばならない緊急事態なのだ。」
 まったく意味不明だ。なぜ環境保全と経済が対立するものではないと断言できるのだろう?日本の政府だって、環境問題はビジネスチャンスだと早くから言っていたはずだ。私には、それが非常に虫のいい話に思える。科学的裏付けと説明、合理的な政策提案なしに、そんなことを主張されても困る。そんな風に考える私にとって、「地球環境の危機は~」という一文は、本当に取って付けたような空虚な念仏だ。
 私たちの日々の活動が、どれほどの石油消費の上に成り立っているのか、まずはごまかしなしに可視化することが第1歩だ。私たちが移動する時に、何かの物を手にする時に、どれくらいの石油消費によってそれが実現したのか、全てのこと・物について明示すべきなのだ(食品に付いている原材料やカロリーを書いたシールのような形でいい)。そうすれば、電気自動車や水素自動車、それ以前に今既に実用化しているハイブリッド車が、どれくらい環境負荷を軽減させることになるのか、太陽光や風力発電が、そのシステムの製造、設置、保守、解体も含めて考えた時に、どれくらい化石燃料の消費を抑えることになるのか、リサイクルが本当に資源の節約になっているのかどうかが明瞭になる。
 今「どれくらい化石燃料の消費を抑えることになるのか」と書きはしたものの、私はそれらが化石燃料の消費を抑えることには結びついていないだろうと想像している。ハイブリッド車の製造には、元が取れるかどうか分からないほどエネルギーが費やされているし、水素や電気を、化石燃料の消費なしに作る方法を誰も教えてくれない。自然エネルギーによる発電システムは、発電している最中にだけ目を向けているように思える。リサイクルは、どこでどのようにして行われ、その過程でどれくらいの石油を消費しているのか分からない。
 あくまでも「想像」である。何もかも隠され、ごまかされているから、「想像」しかできないのだ。私は、環境保全と経済は絶対に対立すると思いつつ、対立するともしないとも断言できない。そんな議論が、何のモヤモヤ感もなく出来るように、化石燃料の消費量、原料としての石油の消費量、それらを一切ごまかすことなく可視化して欲しい。それをしないまま語られる環境対策には、きっと「臭い物に蓋」式のごまかしがある。