メルケルの退任

 ドイツで16年にわたって首相を務めたアンゲラ・メルケル氏が退任式を行ったということは、既に何日か前に聞いていた。今日の毎日新聞には、そのメルケル氏が自伝を執筆しようとしていることについての記事が出た。ドイツの雑誌『シュピーゲル』に基づく記事だという。
 見出しが「メルケル氏自伝 代筆頼らず」なので、多くの政治家が自伝を書く時にゴーストライターの手を借りるのに対して、彼女が人の手を借りずに自伝を書こうとしていることが注目のしどころだ、といった感じだが、そんな安っぽい話ではない。
 小見出しは「政治決断 自ら説明」だ。記事には、「報道(=『シュピーゲル』誌のこと)によると、メルケル氏は自伝で全人生を振り返るのではなく、重要な『政治的決断』について自らの言葉で説明したい考えだという」と書かれている。過去を振り返るという意味で、確かにそれは自伝なのかも知れない。しかし、執筆の目的が過去の政治的決断の説明だとすれば、およそ自伝らしくない書物になるに違いない。
 私は、やはり賢い、立派な人だな、と思った。自伝というのは、ややもすれば自己陶酔や自己顕示欲の表出になりかねないものだが、メルケル氏の執筆動機には、非常に冷静で理性的で、謙虚な彼女の生き方が現れているような気がしたからだ。
 彼女なりに説明責任を果たしながら首相を務めてきて、それがしかるべき水準にあったからこそ16年も首相の座を守ることが出来たのだろうが、それでも、激務の中で、説明を尽くせなかったことや、当時は説明するわけにはいかなかったことというのが相当数あったのだろう。しかし、今なら説明できる。それをしておくことが、今後の政治をよりよいものにするために必要だ。おそらく、彼女はそう考えているのである。
 21世紀の政治家の中で、あまりあちらこちらの国の政治家のことまで考えるのは大変なので、とりあえずG7の範囲で考えてみるなら、私が「良い」と思える政治家は、バラク・オバマアンゲラ・メルケルの2人だ。政策の内容が良かったとか、実行力があったとかではない。そんなことを問題にすれば、核兵器廃絶を訴えて、ノーベル平和賞まで受けておきながら、結局オバマは何をしたのか?ということになるだろう。
 彼ら2人を「良い」と思うのは、まず第一に、彼らに人間的な優しさを感じるからである。オバマ氏が核兵器廃絶を訴えたのは、おそらく本心に基づくだろう。しかし、おそろしく多くの利害が対立し、人々の考え方が多岐にわたる現実の中で、彼にもほとんど出来ることがなかった。同様に、彼が広島を訪ねた時に謝罪の言葉はなかった。だが、持ってきた自分で折った「鶴」や、被爆者代表を抱きしめた時の姿に心癒やされ、この世の行く末にささやかなりとも希望を感じることができた人は多かったのではないだろうか。
 メルケル氏が難民問題で常識外れといってよいほどの寛容を示したことはよく知られている。ドイツ国内では相当な反発もあったらしいが、彼女は大量の難民を受け入れた。また、昨年12月9日に、ドイツ連邦議会でコロナ対策に関して行った演説は感動的だった。彼女らしくなく、非常に感情的な演説だったのだが、そこに、どうしてもコロナで国民に死なれたくない、それは悲しいことだという真情が込められていたからだ。申し訳ないが、日本のAとかSとかいった首相は、いくら「国民の命を守る」と力説してみても、それが自分たちの権力掌握にとって重要だからとしか見えなかった(Kがどうかはまだ分からない)。
 しかも、メルケル氏は、その時、コロナでどれだけ死者が増えるのかは証明されていないという野党議員のヤジに対して、即座に次のように切り返したのだ。
「私は啓蒙の力を信じている。今日のヨーロッパが、まさにここに、このようにあるのは、啓蒙と科学的知見への信仰のおかげなのだ。科学的知見とは実在するのであって、人はもっとそれを大切にするべきだ。私は東ドイツで物理学を志した。しかし私が旧連邦共和国(=西ドイツ)出身だったならば、その選択はしなかったかもしれない。東ドイツで物理学を志したのは、私には確信があったからだ。人は多くのことを無力化することができるが、重力を無力化することはできない。光速も無力化することはできない。そして他のあらゆるファクトも無力化することはできない、という確信が。そして、それはまた今日の事態においても引き続き当てはまるのだ。」(2020年12月15日『Newsweek日本版』藤崎剛人筆より)
 なんという優れた知性だろう。この知性はオバマ氏を上回る。これまた、些細なことでも原稿棒読みに終始した日本の首相との対比が鮮やかだ。このような人物を首相に据えたドイツ人を、私は偉いと思う。そして、このような人なら、どんな場面でも決して大きく間違った判断をすることはないだろう、と信頼できる。

 メルケル氏は今後一切政治的なポストには就かないという意志を表明している。残念ではあるが、優れた人物は引き際もまた美しい。