俗なる高野山

 高野山空海弘法大師)=真言宗金剛峯寺、という程度の知識は、中学か高校の頃から持っていた。司馬遼太郎空海の風景』も、20年以上前に読んだことがあった。しかし、イメージとしては比叡山同様、山の中にお寺があるというだけだった。そのイメージが一変したのは、恥ずかしいことに、2~3年前に「ブラタモリ」を見た時である。「山の中にお寺が一軒」どころの話ではない。日本には珍しい「宗教都市」(私は「天理」以外知らない)ではないか。以来、一度行ってみたいものだと思うようになった。
 何しろ和歌山県である。これまた私のイメージとしては、ミカンがたわわに実り、黒潮に洗われる複雑で美しい海岸線には南国情緒が満ちている、というものであった。そのため、12月末に高野山に行くということに何のためらいもなかった。
 まずいのではないか?と思い始めたのは、出発の2~3日前である。天気予報では、12月25日の夜から27日にかけて、数年に一度という厳しい寒波が日本列島を覆う、と注意を呼びかけていた。私たちが高野山に行くのは26日である。そして高野山は標高850m前後の高さがある。宮城県で言えば、青麻山の頂上といったところだ。「ミカンがたわわに実り」とはかけ離れた環境なのではないか、もしかすると数十㎝の雪ということもあり得るのではないか、と心配になってきた。
 さて、橋本駅南海電鉄高野線に乗り換える。九度山下の駅を過ぎると、少し祖谷渓を思わせるような深い谷に電車は入って行く。よくこんな所に線路を敷いたものだと感心する。最大斜度は50‰(パーミル=1000m行くと50m上る)。橋本駅が標高92mで、終点の極楽橋が535m。その間に駅は8つ。乗っていても急傾斜であることが分かるほどなのに、スイッチバックがひとつもないというのは驚きだ。今どきの電車のパワー恐るべし。(極楽橋からケーブルカーに乗り換えると、最大斜度は530‰を超える。30度以上だ。ただ、こちらはケーブルカーなので、さほど驚かない)。今回、駅に置いてあったチラシで初めて知ったのだが、全国6つの鉄道会社が「全国登山鉄道パーミル会」という会を作っている。電車が急傾斜を上ることを「売り」にしながら、鉄道の利用を促進させようという団体らしい。最大斜度を持つ鉄道は、言うまでもなく大井川鐵道で、90‰だ(→訪ねた時の記事)。「言うまでもなく」というのは、日本で唯一、アプト式(歯車)の軌道を持っていることで有名だからである。
 鉄道もすごいところを走っているのだが、実は、もっと驚くのは、深いV字谷の奥の方まで家が建っていて、人が住んでいるということである。いったいどんな産業があって、生活が成り立っているのだろうか?
 こんなことにいちいち感心しながら電車に乗っていると、「やっぱり旅行は『線』だよなあ。着けばいいというものではない」という思いが、いつものようにこみ上げてくる。

 極楽橋でも雪は積もっていたのだが、標高867mの高野山駅でケーブルカーを降りると、寒さが身にしみた。バスに乗り、大門に着くと、電光掲示板には「-5.2℃」と表示が出ていた。
 高野山で宿泊施設を探すのは大変だ。泊まるところはいくらでもあって、そのほとんどは宿坊だ。そのことに文句はない。ところが、簡素なお寺に安く泊めてくれるという宿坊のイメージとはかけ離れていて、1人2食付き1万2千円以下というところはない。写真を見てみれば、きれいな部屋に精進料理の豪華なフルコースがつく。「阿字観体験」「写経体験」・・・というお寺風オプションも多い。何もかも、下界から運び上げなければならないとあっては、物価が上がるのは当然。だが、この宿坊=高級ホテル化は、それとも違う。
 行く前から、なんだか嫌な気分になってきた。あまりにも「商売」なのだ。それを旅行業者がやるのはよい。お寺がやるから嫌な気分になるのである。ネットで泊まる場所探しをしていると、「高野山カルテル」という言葉が見つかる。もちろん陰口の類いであって、実際にそんなカルテルがあるかどうかは知らない。だが、言い得て妙だ。近くに町がなく、高野山を見るためには、特に自家用車で行くのではない場合、高野町内に泊まるしかない。ほとんどお寺ばかりの宗教都市で、同じ宗派のお寺同士「安い料金設定は止めましょうね」と口約束をしてしまえば、もはや怖いものはないだろう。宗教都市とは言え、俗界そのものである。