紀伊半島と熊野三山

 翌日の午前中は潮岬と紀伊大島を回った。本州最南端である。トルコの軍艦エルトゥールル号が遭難した場所としても、なぜかかなり前から私の中では有名な場所だった。潮岬の周りには岩礁帯が広がっているのだが、心細げな岩場に多くの釣り人がいた。そう言えば、串本界隈には「渡し船」と書いた看板が多く見られる。橋のない大きな川があるわけでもないのに、なぜ渡し船なのだろうと不思議だったが、なるほど、釣り人を岩礁に運ぶための船なわけだ。
 電車で紀伊勝浦に移動し、那智熊野大社青岸渡寺那智の滝に行く。今回、熊野三山を回るに当たり、本当は熊野古道を歩きたかったのだが、交通の便からしても、時間の確保という点からしてもままならなかったので、那智熊野大社に行くための大門坂だけ歩くことにした。
 車道が急斜面にかかる手前に大門坂の駐車場があり、そこから立派な杉の木が立ち並ぶ古めかしい石段を登る。実に風情があっていい。片道わずか30分にも満たない時間だが、この道だけでも歩くと歩かないでは印象がずいぶん変わるだろう。歩いてぐるりと一回りし、次は新宮市内にある速玉大社、そして翌日、熊野本宮大社を回った。写真でしか知らなかった熊野三山を直接見ることができたのは嬉しかったが、なんだか絵はがきの風景をそのまま確認して歩いただけという物足りなさを感じたのも事実だ。やはりたとえ半日だけでも古道を歩いてアプローチしなければダメなのではないだろうか。
 私がむしろ感動したのは、熊野川の美しさだ。いや、熊野川だけではない。翌日見た日高川にしても、渡っただけの日置川にしても古座川にしても、和歌山の川は本当に水が澄んでいて美しい。「豊葦原の瑞穂の国」というよく知られた言葉もあるが、美しく豊かな水があるからこそ、そこに神々が住まうという思いが生まれたのであろう。
 もう一つ驚いたのは、近畿大学の存在感の大きさだ。近畿大学は、クロマグロの完全養殖を実現させたことで名を高めたことは知っていた。水産高校勤務の時代に、熊井英水『究極のクロマグロ完全養殖物語』(日本経済新聞出版、2011年)という本を読んだこともあった。それにしても、紀伊半島を旅行していると、何時間かに一度「近畿大学」関連施設の看板を目にすることになるとは驚きだった。しかも、それが海岸だけではない。私が泊まった温泉宿の近くだったのでたまたま気付いたのだが、新宮実験所なんて海から車で30分近く走った山の中にある。帰宅後、ホームページで調べてみれば、和歌山県内だけで6箇所の施設を持っているらしい。それらがあちらこちらに看板を出しているわけだから、実感としては十数カ所もあるように感じられるわけだ。これはもはや近大帝国である。もっとも、これはおそらく近畿大学の実力というだけではない。日本人がどのような食を求めているかということの反映だ。その期待に応えたのが近畿大学であり、だからこそこれだけ施設を増やすことになったのだろう。
 時間は前後するが、書き漏らしたことを書いておく。
 速玉大社に行った後、まだ明るかったので新宮城址を訪ねた。別名を丹鶴城と言う。小さな山城で、建物は一切残っていない。松阪城(→参考記事)と同じく、石垣が危ないからと言って柵を設けたりせず、かなり自然なままで保存していることで、古城の趣があっていいと思った。現在、新宮市では新宮城の写真を探しているそうである。なんと報奨金付きで、賞金総額は1700万円だという!!天守閣の写真が見つかれば1000万円とも・・・。大金を出せば出てくるというものでもないだろうが、ひとつの歴史研究の材料としてなら写真探しもいいだろう。しかし、写真が見つかったら次は復元、とは進まないで欲しいものである。建物のない古城には古城の良さがある。
 30日、時間があったので、太地町に寄り道した。昔から、宮城県の鮎川や千葉県の勝浦とともに、捕鯨が盛んだったことで有名な町である。今もクジラの博物館があり、キャッチャーボートが陸揚げして展示されている。クジラのモニュメントやら、かわいいイルカ付きのポストもある。ゆっくり見て歩くほどの時間はなかったが、あっても、博物館に入ったりはしなかったような気がする。いろいろな案内を読んでいて、あまりにも「過去形」でつまらないのだ。宮城県の鮎川は「現在形」である。今でも捕鯨会社があってキャッチャーボートが出入りし、クジラの解体場もある。クジラが今現在の「食」である以上、かつてのクジラ漁を歴史として楽しもう、という気にはならない。
 1週間の旅行中、天気には恵まれた。串本で少し(傘が要らない程度に)時雨れたくらい。高野山の雪は、悪天候と言うよりも、あれはあれで冬の高野山らしく、むしろ貴重な景色を見られたという気がする。紀州鉄道に乗れなかったのだけが返す返すも残念だったが、昔から懸案だった紀勢本線を乗り通すことも出来たし、私の趣味の上でもまずまずよかった。家族全員で旅行する機会って、今後あるのかなぁ?  (おしまい)