所謂「震災もの」について

 昨日は、ラ・ストラーダの映画会に行った。近年、「選べる」ということが、絶対善の価値であるかのように言われるが、私はあまりそうは思っていない。世の中には選べない方がいいことだってたくさんある。例えばこの映画会。面白そうだなと思う会だけ行っていたら、自分が面白そうだと感じる範囲の映画としか出会えない。月に一度、面白そうでも面白そうでなくても行く、と決めたところから、新鮮な出会いは生まれる。私はそう考える。
 さて、今回は井上剛監督の「LIVE LOVE SING(生きて、愛して、歌うこと)」という映画だった。先のように考える私は、この映画がどういう映画であるかさえよく知らずに出かけて行った。なんでもNHKが2015年に放送した特集ドラマに、ドラマではカットしたシーン26分ぶんを付け加えた劇場版、というやつなのだそうだ。
 東日本大震災時、福島県の富岡らしき町(映画の中では「富波町」)に住んでいた子どもが、原発事故によって各地に避難した。主人公の避難先は、阪神大震災を経験した神戸だ。高校生になった彼らが、小学校の庭に埋めたタイムカプセルを探しに、立ち入り禁止区域になっている故郷に行く。そのドタバタを通して、主人公が向き合いたくなかった過去と向き合えるようになり、前を向いて生きて行けるようになる、というお話だ。
 決して退屈しながら見ていたわけではないけれど、感動もしなかった。私は「震災もの」に一度もいい印象を持ったことがない。今回も同様である。
 私は面白いにしてもつまらないにしても、なぜそのように自分が感じるのかを一生懸命考えながら見ている(音楽の場合は聴いている)。「震災もの」のつまらなさは、けっこう簡単にその原因を探し出すことができる。
 ひとつは、震災、あるいは被災地に、殊更、悲劇性または英雄性を見出そうとする作為を感じるからである(→参考記事)。とにかく、人は「悲劇」と「英雄」が大好きで、その大好きなもの(の材料)が震災にはてんこ盛りなのである。わざわざ震災の中から悲劇と英雄ばかりを探そうとして、事実からは目を背ける。

 もうひとつは、被災者に対する遠慮(配慮?)が創作の自由を制限し、物語を通り一遍のものにしてしまうからである。被災者を批判することはタブーである。すると、話は「だけど前向きに生きていく」にしかならない。今回の映画もその通りだ。ひとつめの「悲劇」「英雄」指向と、結局は同じこととも言える。この信じられないほど単純な予定調和に、私は本当にうんざりする。
 被災地のど真ん中に住む者として、多くの文学や映像作品に描かれる被災者の姿は真実でない。そもそも、「被災者」という言葉で一括りに出来るほど、被災者の抱える事情は均一でない。確かに、逆境の中で必死になって生きる姿はある。しかし、それは被災者の一部に過ぎないし、人間、いや、生き物の本能に従ってそう生きるだけであって、人からほめられたり、持ち上げられたりするようなものではない。一方で、被災者はごく当たり前の人間である。どろどろしたエゴや、人間関係の確執も普通にある。だが、「被災地もの」でそれらが描かれることはない。子を失った親など、その苦しみが他人の介入をいかなる形でも許さない人もいる。
 「被災地もの」は、被災者が見ることを前提として、もしくは、被災者に見せるために作られることが多い。そのことが、冷静、客観的な表現を不可能にする。それが可能になるためには、おそらくもっともっと長い時間が必要なのだ。今ようやく、「被災地もの」が「被災地もの」であるというだけで売れたりはしない状況になってきた。「被災地もの」であることが特権でなくなった時、少しまともな震災映画が作られるようになるのではないか。「LIVE LOVE SING」は2015年。今は2022年。本物の震災映画が作られるようになるまでに、あと10年くらいは必要な気がする。