JAZZの魅力(1)

 記憶が定かでない点も多いのだが、11月だったか12月だったか、Eテレの番組で、ジャズピアニストのビル・エバンスを取り上げていた。レギュラー司会者の清塚信也とゲストの小曽根真が、ビル・エバンスの音楽がいかに美しく、魅力的かということを時折ピアノを弾きながら力説していた。
 私もビル・エバンスくらいは知っていて、我が家にも3枚ばかりCDがあるのだが、聴かなくなって久しい。果たしてそんなに魅力的なピアニストだったかな、と思い、老母の生活支援に行く道すがら、久々に聴いてみた。やはり心動かされなかった。そこには、私がジャズに求めるものが何か、という問題が表れているように思う。私のジャズ体験なんてたかが知れたもので、あまり偉そうに語る資格はないのだが、ジャズにおける「美しさ」とは何か、という哲学的な問題でもあるので、あくまでも極めて狭いジャズ体験に基づく個人的な思いであると断った上で、少しだけ書いておくことにする。
 私は高校から大学にかけて、ジャズという音楽がかなり積極的に嫌いだった。ジャズが、というよりも、ジャズに付きものの「ズンズンズンズン・・・」というベースが苦手だったのだ。大学時代、ジャズのレコードが数十枚も並ぶ先輩宅でそんな話をしたら、「ジャズを聴く上でそれは致命的だな。」と言われたことを微かに憶えている。
 それが、いつからだったか、夜とウイスキーがこんなに似合う音楽はない、と魅力を感じるようになった。とは言え、クラシックに比べると、FMでも放送に当てられている時間は格段に短く、友人たちにもジャズファンなどはほとんどいないので、どこからどう手を出せば良いのか分からなかった。そのせいもあってか、私が知っているジャズは1950年代、マイルス・デイビスを中心とするモダンジャズの全盛期にほぼ限定されている。ただし、これとて情報量の不足からそうなったのか、あれこれ聴いてみた結果、やっぱりモダンだとなったのかもはっきりしない。
 さて、私にとってジャズにおける「美しさ」が何かを考えるためには、私が非常に魅力的だと思える演奏がどれか、と考えてみればいいだろう。とりあえず、2枚のアルバムを軸に考えてみよう。
 一つ目は「BAGS’GROOVE」(1954年)。
 演奏者が「Miles Davis and the modern jazz giants」と書かれているとおり、マイルス・デイビスミルト・ジャクソンソニー・ロリンズ、ホレース・シルバー、パーシー・ヒースケニー・クラークという信じがたいほどの名人が一堂に会したアルバムである。その割に名盤として取り上げられるのを目にしたことがない。このアルバムの冒頭に置かれた表題曲は、私が最も好きなジャズ演奏の一つなのだが・・・。
 おそらく、私が最も好きなジャズ演奏家ミルト・ジャクソン、次がマイルス・デイビスである。ミルト・ジャクソンについては、彼だけではなく、彼が演奏するヴァイブラフォンという楽器の魅力も大きい。見てみれば、我が家には、ミルト・ジャクソンのアルバムが、これ以外に6枚ある。
 ヴァイブラフォンとは、いわば鉄琴なのだが、鍵盤の下に共鳴管が付いている上、その鍵盤と共鳴管との間にファン(扇風機)が付いている。したがって、音がよく響く上に、プロペラの回転によってその音が震える。ヴィブラートをかけたような音になるので、ヴァイブラフォンと言う。この音の揺らぎが、まるで闇の中にろうそくの灯が揺れているような感覚を催させるのだ。
 同時に、ミルト・ジャクソンにしても、マイルス・デイビスにしても、黒人の中の黒人。アメリカ社会における彼らの屈折した心理が、濃厚に音楽に反映されている。ドタバタと速い曲ではなく、ブルース調の曲を演奏した時に、それは最もよく表れる。この濃密な、「ねっとりとした」と言ってよいような情念が、おそらく私にとっての「ジャズの魅力 その1」である。(続く)