「高校生活最後の」

(1月21日付け「学年主任だより№32」より②)


【楽しく終わった学年レク】

 「謎解きゲーム」という案が出てきた時、私はそれを全くイメージすることができなかった。説明を聞いても、そんなこと上手くいくのかなぁ・・・?という疑問というか、心配ばかりが強くなってきた。加えて、準備のための時間はないし、HR委員も集まれたり集まれなかったり・・・。
 ところが・・・冒頭のN先生登場、ビデオメッセージ形式での校長指令(笑!!!)から始まって、意外な問い(謎)の数々、そして最後の懐かしい写真スライドショー・・・と、けっこう楽しめたのではないか?諸君が最後とてもいい表情をしているのを見て、事前に「こんな企画上手くいくのかな?」と思っていた自分の愚かさ(頭の固さ)を思い知った私であった。HR委員諸君とM先生に感謝を!
《閉会時私が言ったこと》
「これで『高校生活最後の行事』が終わった。残るは『高校生活最後の考査』である。考査範囲も狭いことだし、とにかく自力でハードルを越えて、きれいに卒業して欲しい。」


【人に伝える、ということ】

 主に先週、ビジネス科も含めて、「国語表現の寸劇」「普通科・総合的探求の時間のまとめプレゼン」を少しだけ見せてもらった。3階廊下に掲示してある選択化学の有機化合物に関する「コラム」については、昨年来なので丁寧に見る余裕があった。
 ただ静かなだけで、分かっているのかいないのか分からない私の授業と違い、動いている諸君を見ていると、工夫と個性があって楽しい。多分、諸君の脳も、他の座学の時よりもよく動いているだろう。
 ところで、化学の「コラム」は「いいね」に相当するシールが貼れるようになっている。内容もともかく、デザイン性に優れているものにシールが多い。決して悪いことではない。人に読んでもらうことを前提に書いている以上、人が読みたくなる工夫は絶対に必要で、それがポスター形式の「コラム」の場合、デザインだからだ。
 「寸劇」でも「総探」でも、根は同じことである。言いたいことを言ったからそれで十分、というのは「ひとりよがり」というやつだ。どうすれば人が分かってくれるのか、相手の反応も見ながらあれこれ工夫する。その意識がまず大切。そしてそのためには、「大きな声ではっきりと話す」と「原稿ではなく、聞き手の顔を見ながら」がどうしても必要なようだ。また頑張ってね。