植松氏へのエール

 抱えていた論文を1本出して、一息ついているということは、半月ほど前に書いた。その後も、のんびりと、懸案だった本を読んだり、改めて聴いてみたいと思った音楽を聴いたりしている。ただし、PCの調子があまりにも悪いので、ここに字を書くことがひどくおっくうに感じられて、更新が滞った。とにかく、PCが重く、言うことを聞かない。
 さて、そんな生活をしていたところ、息子が中学校で植松努という人の映像を見て感動したと言うものだから、そう言えばそんな人もいたっけ、少しだけ前から気になっていたのだ、この機会に見てみようと思った。我が家を探せば、妻の書架から、植松氏の著書『NASAより宇宙に近い町工場』(ディスカヴァー・トウェンティワン、2009年)と講演のDVD『きみならできる!「夢」は僕らのロケットエンジン』(現代書林、2009年)という物が出てきた。通勤の電車の中でまず本を読み、その後DVDを見た。どちらも内容的にはほとんど変わらない。
 植松努という人は、北海道赤平町で植松電機という会社を経営しつつ、半ば趣味でカムイスペースワークスというロケット製造会社も経営している。その話は非常に前向きで明るく、聞いていてワクワクする。なるほど、息子が「感動した!」と言うわけだ。私もDVDを生徒に見せたくなってきた。
 122分の長い講演なのだが、本当に退屈しない。あえて言えば、最後の30分は似たような話が続きすぎるかな、という程度。この講演を見ていると、プレゼンテーション技術など本当にどうでもいいのだな、と思う。特別な話術があるわけでもなく、適度に映像は交えるものの、基本的に淡々と話をしているだけである。一見、ほとんど何の工夫もない。行き着くところ、話の内容そのものが面白いのだ。彼が語るべきことをたくさん持っている、ということなのだ。その点を抜きにしたプレゼンテーション技術など存在しない。そのことが非常によく分かる。
 北海道の、炭鉱がなくなって斜陽化した小さな町で、学校でも決して優等生ではなく、したがって偏差値の高い大学にも行かず、それでいて、今や宇宙にロケットを飛ばせる技術を手に入れた。そのプロセスと発想はすばらしい。
 氏は、「どうせ無理」と思うこと、言うことを、この世から無くしたいのだという。どんなことでも、「どうせ無理」とあきらめず、誰もが工夫をして「よりよく」を目指せば、どんなことでも実現し、社会は良くなると力説する。氏自身が、会社経営にもロケットの開発にも成功しているだけに、その言葉には説得力がある。
 確かに、そういう前向きな意識は大切だ。「成功することの秘訣は、成功するまでやり続けることです」。なんだか単純すぎて笑ってしまうが、決して間違っていないような気もする。
 しかし、である。やはり世の中には「無理」なことは存在するのではなかろうか。不老不死などはその典型だが、氏が実現させてきた様々な「夢」は、結局のところ、全てエントロピーを増やす活動であって、減らすものではない。地球温暖化に極めて強い危機感を持つ私が思うに、自然界に存在する法則の中で、最も手強いのは「エントロピー増大の法則」ではないか。
 エントロピーとは、元々、熱力学に関する用語であるが、その定義はなかなかに難しい。私流にごく簡単に言えば、ゴミである。例えば、1枚の紙がある。この紙を撤去することは簡単なので、紙の状態である限りエントロピーは低い。しかし、この紙を燃やすと、二酸化炭素が空中にばらまかれ、その回収は困難となる。燃えかすだって、すぐに粉々になってしまい、全てを回収することは難しい。これは、燃やすことで、エントロピーが増大したということである。空気中に放出された二酸化炭素を回収するためには、どんな機械を使うにしてもエネルギーが必要で、それを使えば、二酸化炭素を回収する一方、回収機が熱なり二酸化炭素なりを放出し、しかも、それは回収する二酸化炭素よりも多い。何かをするたびにエントロピーは増える。人為的には絶対に減らせない。減らせるのは動植物だけである。これを「エントロピー増大の法則」と言う(←間違っていないかな?)。
 あらゆる人間の「夢」は、人間の本能に基づいて設定される。もっと楽に、もっと楽しく・・・困ったことに、「夢」は必ず自然に反する。自然に反することほど、人間をワクワクさせる。そんな「夢」を設定する限りにおいて、人間は相当程度のことを実現させる能力を持っていると思う。「どうせ無理」を禁句にすることも、あながち無茶ではない。しかし、それはエントロピーを必ず増大させる。
 残念ながら、今人類にとって必要なのは、エントロピーを減少させることである。そちらに向かって問題意識を持つことも含めて、それは人間にとって限りなく難しいことだ。人類が生存を維持するために「無理」と言ってはならないが、現実問題として私には「無理」としか思えない。植松氏になら可能なのだろうか?ロケットも悪くないが、「エントロピー増大の法則」を破ることも「無理」ではないことを見せて欲しい。その時、私は植松氏にひれ伏して信徒になるだろう。