発信は匿名が常識?

(2月25日付「学年主任だより№36」より①)


 このプリントにもかつて2~3度登場したことのある私の老母が、先々週の木曜日、自宅で転倒して起き上がれなくなり、金曜日にヘルパーさんに発見されて救急搬送され、そのまま入院となった。医師から、「もう一人暮らしは無理です」と言われ、目下、今後の対応についてあれこれ考えているところ。
 人と人との結びつきが希薄になったことの、いわば代替手段なのだろうが、今の社会はケアマネージャーやソーシャルワーカーによる支援がしっかりしていて、何かと相談に乗り、手配してくれる。15年ほど前の父の時よりもはるかにスムーズだ。
 私が感心するのは、病院にしても介護施設にしても大変な仕事なのに、「仕事だから仕方なくやっています」みたいな人が全然おらず、実に親身になって動いてくれている感じがすることだ。多くの人が、こんな風に誠実に働いているからこそ、世の中が平穏、円満に回っているんだろうなぁ、と思うと同時に、「果たして私自身は・・・?」という自問を余儀なくされる。


【国語表現「卒業文集」を読ませてもらった】

 授業がなくなって少し余裕ができた先週、M、S両先生が授業で作った「卒業文集」をとやらを読むのに時間を費やしていた。授業で作ったということもあるのだろうが、最近読んだ諸君の作文類の中では、際だって質が高かったような気がする。
 中に「修学旅行がなくなって悲しかった」といった修学旅行に関する記述がたくさん目に付いた。諸君は思っていることをさほど表に出さないので、修学旅行の中止も淡々と受け止めていたと思っていたのだが、実はかなりショックだったのだな、と胸が痛んだ。
 匿名だったのが残念!!「発信は匿名」が常識化してしまうのは危うい。無責任な言葉が横行するようになるだけでなく、書く姿勢が甘くなることで自分自身を伸ばす上でもマイナスになるだろう。


裏面:亀淵迪「ヴォスの『駅長さん』」(岩波『図書』1999年3月号より)前半を貼り付け。
コメント:科学者の随筆には優れたものが多い(と私は感じている)。寺田寅彦に始まり、中谷宇吉郎朝永振一郎、西堀栄三郎・・・。3年間、諸君が世界を拡げていくきっかけとして、主に新聞記事を紹介してきたが、最後に、科学者が書いた私の大好きな随筆をひとつ紹介することにする(2回連載)。なぜ私がこの作品を選んだかについては、あまり小難しく考える必要はない。ほのぼのとしたいいお話、という理解で十分。気が向けば、次回に若干の解説を加えることにする。(→ 参考記事=亀淵迪のエッセイ集について)