斎藤幸平『人新世の「資本論」』

 この2日間、職場の同僚に勧められて斎藤幸平『人新世の「資本論」』(集英社新書、2020年)という本を読んでいた。これはびっくり。環境問題がいかに深刻な人類的課題であるかから始まって、資本主義が環境問題克服と絶対に矛盾する理由、それを克服するためにはマルクス晩年の思想を参考にすべきだという主張、それに類する活動が世界で見られることと話は展開する。私が日頃言っていることと重なり合う部分がたくさんある(→とりあえず「この記事」を読んでみて欲しい)。しかも、重なり合うだけでなく、私が直感的に「こうであるべきだ」「これはなんだか変だ」と思いながら、明瞭に説明しきれていなかった部分を、驚くほどきちんと説明してくれているではないか。自分の専門分野に関する本以外では、3年ほど前に読んだ岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社、2013年)以来のインパクトだ。
 扱っている問題の深刻さに加え、研究者の名前や用語がたくさん出てくることもあって、決して楽々と読める本ではない。私も一応「国語教師」という専門家の端くれである。おそらく、一般の人にとってはかなり手強い本だろう。しかし、なにしろ地球温暖化という人類にとって最大の難問に関する本である。これ以上簡明であれば、逆に、分かりやすさを優先させるあまり、大切なことを切り捨てていると警戒しなければならない。この本は、そのバランスにおいて、かなりきわどい線を狙って書かれている様に見える。
 ポイントは、マルクス思想の問い直しと地球温暖化を結びつけている点である。マルクスも年齢と共に思想を変化させている。マルクス晩年の思想は、近年刊行が進んでいるMEGAと呼ばれる新しい『マルクス・エンゲルス全集』に収められたマルクスの研究ノートに表現されているが、それは『共産党宣言』とも、『資本論』第1巻ともかなり異なる。そして、そこにこそ、温暖化を克服するための方法論が書かれていると言うのだ。
 斎藤幸平という人は、1987年生まれ。まだ30歳を少し過ぎたばかりの、正に新進気鋭のマルクス主義経済学者らしい。ベルリンのフンボルト大学で哲学の学位を取り、(邦題)『大洪水の前に』で、ドイッチャー記念賞という権威ある(らしい)賞を最年少で受賞。同書は5ヶ国で刊行されているという。現在は大阪市立大学准教授。
 そう言えば、少し前に、東北大学経済学部で非常勤講師をしている先生と話をする機会があった。その時私が驚いたのは、東北大学に専任のマルクス経済学者が一人もいない、ということであった。私が在学(学部は違う)していた1980年代前半、東北大にはマル経の専門家が近代経済学の専門家よりも多く、なんだか時代遅れの大学のように言われていたと記憶する。そう言われたからかどうか分からないが、どうやらその後、東北大はマル経排除の方向に舵を切ったらしい。もしかすると、それは狭い了見というものだ。
 斎藤氏のマルクス理解がどれだけ正しいのかを確かめることはできないが、もし、マルクス晩年の思想に、現代的課題を克服するための様々なヒントが含まれているとしたら、やはり「役に立つ」かどうかの判断というのは難しいものだ。
 斎藤氏の議論は、マルクス晩年の思想に出会った驚きに基づくが、環境問題への深刻な危機感なしに書籍化されることはなかっただろう。氏は、環境問題を極めて正しく、ということは、極めて危機的なものと認識している。
 私が借りた本は、出版から5ヶ月後に印刷された「第8刷」である。まずまずの売れ行きだ。だが、資本主義から脱却しない限り環境問題の克服はない、ということを実現させるのは至難だ。著者は、著者が目指すべきだと考える方向性に近い様々な実践例を上げているが、そのような考え方ができる人を国政選挙で当選させるというプランは示していない。草の根的な運動も大切だが、おそらくそれを待っている余裕はない。斎藤氏の思想を世間にもっともっと知ってもらうという意味も含めて、選挙による社会の方向転換を目指す必要があるのではないか?

(注:アマゾンのレビューを見てみると、驚くほど評価が割れている。それらを読むと、私が感心していられるのは無知だからだ、ということも少し分かる。だが、少なくとも、資本主義と環境問題が絶対に矛盾するという点と、その先の方法・可能性について、これだけ明瞭な主張ができる点は評価しなければ、と思う。)