素朴で幸せな世界・・・野村万作氏登場!

 今日は、2時間早く退勤して、家族でまきあーとテラスに狂言を見に行っていた。まきあーとテラスとは、昨春オープンした石巻市民会館(市立博物館等を含むので、正しくは複合文化施設と言う)である。
 実は、昨年3月28日にこけら落とし公演として狂言が予定されていた。抽選で入場券を配布するということだったので、往復葉書で申し込んだところ当たった。ところが、コロナ問題で延期となった。市からは、いずれ開催するので、入場券を手元に置いておくようにという通知が来た。
 それから1年。この間、8月「復興祈念音楽会(マリンバとオーケストラ)」、12月「小曽根真」、2月「東京都交響楽団」と3回もホールに足を運んだ。時折、狂言のことを思い出しては、今更こけら落としも変だよなぁ、狂言の入場券をまきあーとテラス主催行事のチケットと交換します、といった措置でも取ってくれればいいのに、などと思っていた。
 そうしたところ、2週間ほど前だろうか。突然、延期していた狂言の公演を行うと言って、新しい入場券(葉書)が送られてきた。前から4列目のほぼ真ん中という最高の席である。
 それにしても本当に「突然」だ。場合によっては、都合を付けるのに努力が必要なんだから、せめて1ヶ月以上前によこせよ・・・と、ぶつぶついいながらも、努力せずに都合が付けられる日だったこともあって、大喜びで行ったのである。
 会場で知ったプログラムは、「三番叟(さんばそう)」(野村裕基)、「靭猿(うつぼざる)」(野村万作野村萬斎、三藤なつ葉)であった。いかにもこけら落としにふさわしいプログラムだ。
 狂言など見る機会が久しくなかったこともあって、野村万作がまだ現役だとは驚いた。プログラムを見れば1931年生まれなので、今年91歳である。公演前の市長挨拶によれば、36年前、石巻文化センター(東日本大震災で被災し、解体)のこけら落とし公演にも出演されたらしい。指揮者以外で、90歳以上の方がステージに立つのを見るのは、私にとっても初めてだと思う。しかも、立って腕を振り回すのと違って、ぴょんぴょん跳んだり、ごろりと横になったり、それなりにいろいろな動作が必要な役だ。声にはさすがに張りも伸びもないとは思ったが、「大名」役としての存在感も含めて、たいしたものだと舌を巻いた。萬斎の猿引、三藤(万作の外孫、萬斎の姪で8歳)の猿も秀逸。
 帰宅後、久しぶりで野村万作『太郎冠者を生きる』(白水社、1984年)を書架から引っ張り出して、パラパラと目を通した。「三番叟」は、狂言には軽くて喜劇的な作品が多いゆえに、修行の過程で「三番叟」のような習い物との出会いが重要なのだ、と書いて、その説明に多くの字数を費やしている。「靭猿」は、野村家の初舞台演目として大切にされている。万作の父・万蔵は「狂言は猿に始まり狐に終わる」と言っていたそうだ。それらの解説は、舞台を見た後に読んでも面白い。
 とにかく、我が家の子供達も楽しめたようでよかった。やっぱりいいなぁ、日本の古典芸能。こんなに素朴で罪のない所作に接するだけで、十分幸せな気分に浸ることができるのに、どうして人は戦争なんかするのだろう?・・・結局、何をしていてもそんな意識から逃れられない最近の私である。