戦争による必然

 とても温かい。さすがの石巻も、昨日はついに20℃を超え、22.2℃。今日も20.7℃と20℃を超えた(それでも50㎞南の仙台や100㎞北の気仙沼より4℃以上低い。相変わらず、石巻の気候にはびっくり!!)。おかげで、昨日は我が家の南側、今日は西側の桜が開花した。梅は8分咲き、水仙は5分咲きだ。あと1日、20℃超が続くらしいので、もしかすると今週末は桜が満開。
 ところで、相も変わらずウクライナのことが気になるのだけれど、様々な報道を見ていると、二つのことが気になる。
 一つは、ロシア側の情報は全てフェイクで、ウクライナ側の情報は全て正しいというようなスタンスが見えることだ。戦争は情報戦である。ロシアが始め、ウクライナを戦場にしている以上、ロシア側に申し開きの余地などないのは確かなのだが、戦意を高揚させるためにウクライナフェイクニュースを流していないという保証もない。あまり脳天気にウクライナ側の情報ばかりを信じるのは危険だ。
 もう一つは、ロシアの経済状態とか、プーチンの健康状態とかについて、「こうなって欲しい」という願望によって偏向した記事が多いような気がすることだ。始まってしまった戦争を終わらせることは非常に難しい。狂気のゆえに戦争を始めるよりは、戦争をする中で狂気が作られてくのだし、既に払った犠牲やメンツの問題によって、物事はやればやるほど引き返せなくなるものだからである(コンコルドの法則)。にもかかわらず、ロシアが追い詰められてもう少しで戦争が終わりそうであるかのような報道が多い。それは「こうなって欲しい」という願望によって生まれたか、読者のそんな願望にすり寄るようにして記事が書かれたかであろう。
 そんな中で、今日ネットで読んだJBpressの青沼陽一郎「ロシア軍の残虐行為は戦闘で発生する『必然』、これが本当の戦争の怖さだ」という記事は、戦争というものの本質を的確に指摘したいい論説だと思った。実は、私が3年ほど前に書いた「こんな記事」も、ほとんど同じことを言っている。そんなことをふと思い出した。
 戦争は始まってしまえばそれでおしまい。制御なんて利かなくなる。だから、戦争は始めないしかないのだ。では、今回の戦争をどうやって終わらせる?そんなことが分かるくらいなら、こんなことを書いたりはしない。ただ、少なくとも、ロシアの経済が破綻しようが、プーチンの健康状態が悪化しようが、そんなことくらいで「じゃあ、止めよう」とは絶対にならないことは分かる。温暖化も同じなのだが、物事は悲観的に考えておいた方がいい。それが間違いなら「あぁよかった」でおしまいにできるが、楽観視しておいて悪い事態が起こったときにはダメージが大きい。私の言うことはいちいち悲観的に過ぎると思う人もいるかも知れないが、温暖化にしても戦争にしても、私の予想より更に悪い状態になるというのは十分にあり得ることだ。