権力の性質(毛沢東の場合)・・・その6

 権力者としての毛沢東を見ていて思うのは、「自分が正しい」という独善(もしくは、絶対の自信)と、国民の命の軽視である。
 前者は、戦時中に様々な戦略的意志決定を行ってきた延長線上にある。トップの人間が、「このやり方で行く」となれば、そこに迷いを持つことはかえって危険だ。判断の間違いは負け戦となって表れる。ところが、建国後の意志決定は、結果が悪かったとしても、戦争の勝ち負けほど明瞭には表れない。昨日書いたとおり、起点は毛にあったとしても、その指示を神の声と仰ぐ下々が暴走した結果、無用な損失が発生したとなれば、なおのこと毛の責任は曖昧になる。
 大躍進にしても、反右派闘争にしても、文化大革命にしても、それによって引き起こされた混乱や大量の犠牲者について、毛がどのように考えていたかはよく分からない。少なくとも、深刻な危機感はなかったように見える。
 1957年11月、この反右派闘争から大躍進運動にかけての時期、毛沢東はモスクワに出張し、「ロシア革命40周年記念式典」に出席した。そこで行った演説を、ほとんどの毛沢東伝は問題とする。

「仮説を立ててみよう。戦争が勃発したらどれだけの人間が死ぬだろうか?全世界の人口は27億人で、その3分の1が失われるかも知れない。(中略)最悪の場合、半分が死ぬだろう。だが半分は残る。帝国主義は跡形もなく破壊され、全世界が社会主義になる。何年も経てば再び27億人に達し、必ずやさらに多くなるだろう。」(フィリップ・ショート『毛沢東 ある人生(下)』の訳)

 もちろん、毛の意図としては、最後に「だから、戦争が起こって世界の半分が死んでもいいではないか」が続く。そこで自分が死ぬことは想定されておらず、社会主義国側が負けることも想定されていない。

  中国共産党結党100周年の記念の年となった昨年、日本でも中国共産党毛沢東についての出版が相次いだ。その中で、私が読んで非常に感心したものに中兼和津次『毛沢東論』(名古屋大学出版会、2021年)がある。中兼氏は、上の発言を問題とした後で、翌1958年5月の第八期二中全会における毛の次のような発言を紹介する。

「核戦争は今のところ経験がない。何人死ぬのか分からないが、一番いいのは半分生き残ることで、次にいいのは3分の1生き残ることだ。世界の人口20何億人のうち何億人かは生き残り、何回かの5カ年計画をやれば発展し、その代わりに資本主義が滅亡して恒久平和が得られる。これは悪いことではない。」

 意図としては、ソ連での演説と同じである。おそらくこれは、聞いている人に衝撃を与えることで自分の話に意識を向けさせるというような狙いを持つものではなく、相当程度まで毛の本心だったのではないか。
 更に、同年8月の北戴河会議での発言。

「何年もあれほど戦闘をやり、あれほど多くの人間が死んだ。誰もその損失に償いなどできない。現在建設しているが、これもひどい戦闘で、何年も命をかけ、これからも命をかけなければならない。これは総じて戦争よりも死者が少ないものだ。」

 もちろん、「これ」は大躍進運動で、「だから大躍進運動の死者くらい気にする必要がない」の意味が含まれている。その大躍進運動で死んだ人の数は、昨日書いたとおり、3000万人を超えると推定されている(原爆によって広島で死んだ人の数の20倍以上!)。
 これらが、毛という権力者の感覚である。そして、その周りにいた良識的な、もしくは人間的な指導者、すなわち周恩来であれ、劉少奇であれは、毛を否定しないように気を遣いつつ、その火消しに奔走することを余儀なくされるのだし、真正直な人間、例えば彭徳懐や張聞天は、毛にもの申して失脚したのである。(続く)