権力の性質(毛沢東とプーチン)

 まとめに入る。
 毛は比類のない軍事戦略的能力のゆえに、中国共産党の指導権を握った。抗日戦争→解放戦争(国共内戦)を終えて、新しい国家の建設に入ると、することは大きく変わる。軍事的な戦略能力が、新国家の建設・運営に通用するとは限らない。しかし、毛は軍事戦略家として握った権力を新国家の建設に使った。それが、間違いの始まりであろう。必要な能力が異なるのに、指導者は変わらない。もちろんそれは、権力者自身の問題であるだけでなく、毛を祭り上げ、おだてた周りの人間の責任でもある。そんな場所には、毛のやることがいいとか悪いとか考えず、自分自身の存在価値を高める、あるいは、自分自身が優遇を得るために積極的に権力者を支える人間が現れる。毛の場合、陰には康生、陽には林彪がいた。見方によっては、周恩来だって立派な太鼓持ちだ。
 権力は腐る、とはよく言われることである。毛を見ていてもそれは思う。自分の信念に忠実で、他者の意向にとらわれず、我が道を行く毛でも、権力者として周囲から扱われているうちに、自分自身の本来目指していた者を見失い、独善は暴走した。
 毛ほどの能力があれば、国民党の中で高官となり、豊かな生活をすることは可能だった。強大な権力と武力を持つ国民党から、常にその命を狙われる生活をする必要などなかった。しかし、毛は「全ての人が食べられる世の中を作る」という崇高な理念の下、結党時から共産党に参加し、絶え間のない戦闘生活を送った。最後には自分たちが天下を取り、自分がその頂点に立つのだ、などということを考えながら出来ることではない。既に書いた、毛の民主的な軍隊経営を見ても、最初から、毛に「腐る」気配を認めることなど到底できない。それでも、毛は明らかにおかしくなった。古田会議から建国までちょうど20年、第六期六中全会からなら12年。古田会議から大躍進運動までだと、更にそれらに10年を足せばよい。どうも、それが権力が腐るのに必要な時間らしい。
 人命の軽視については加えるべきことが無い。
 さて、私が少し毛沢東のことを思い出してみようかと思ったのは、もちろんウラジーミル・プーチンなる人物が世界を混乱に陥れているからである。中国とロシアでは、歴史的、文化的背景が違うので、あまり公平な比較はできない。それでも、なんだか共通すると思わせることがいくつかある。
 プーチンは元々KGBの諜報員であった。言葉を換えれば、特務機関に所属するスパイである。やがて1998年にFSB(ロシア連邦保安庁)の長官となる。FSBはKGBを改組した組織なので、一スパイがトップに上り詰めたことになる。プーチンエリツィン政権で首相になったのはその翌年、大統領になったのは更にその翌年、2000年のことであった。
 特務機関(諜報や粛清といった冷酷な仕事を、人目に付かないように行う)という「陰」のトップが、大統領という「陽」のトップになった。これは、毛で言えば、軍事戦略を立てることから国家建設を主導するようになったことと重なる。特務などというのは、普通の人間にできる仕事ではない。極端なまでの冷静さと、冷酷さ、残忍さが求められる仕事だ。プーチンは、就いてはならない地位に就いたのである。
 プーチンが大統領になってから今年で22年。途中、4年間だけメドヴェージェフ政権下で首相に下ったが、それは院政であろう。したがって、プーチンがロシアの権力を握っている期間は20年を超えたと言ってよい。
 プーチンがどれほど庶民の命を何とも思っていないかというのは、今回のウクライナ侵攻、核兵器使用をほのめかしながらの恫喝が、あながち狂言とは思えないところによく表れている。
 蛇足を加えれば、プーチンはやっていることが無茶苦茶な割に、国内の締め付けが緩いと感じる。例のテレビ番組で「NO WAR」のボードを持った女性が、実際テレビに映ってしまったにもかかわらず、すぐに釈放され、今はドイツのテレビ局のレポーターになっているなど、今の中国では絶対にあり得ないことである。スターリンのように手当たり次第に殺し、恐怖によって統治するというようなことをやっているようには見えない。この点も、毛と通じるものがある。
 ここに、権力というものの普遍的性質が表れていると、私はまだ言えない。ただ、ある程度共通性を生み出す自然的な力、法則性とでも言うべきものは存在するような気がする。
 毛は結局、死ぬまで権力を掌握し続けた。よぼよぼの老人となり、言っていることがほとんど分からなくなってなお、人々はその意向を気にし続け、「毛の時代は終わった」と公言することはできなかったのである。たかだか今程度の経済状況悪化や、戦況の不良で、プーチンが直ちに失脚する、退陣に追い詰められるなんてあり得ない。情報統制、情報戦略の中で、二年後の改選で誰かに負けるとも思えない。そもそも、ロシア国民は、強そう=頼れそうなイメージでプーチンを選んだ。今の極端に強気な言動をよしとするロシア人は多いに違いないのである。
 権力の哀しさであると同時に、人間の愚かさの哀しさだ。(終わり)