カービー氏の沈黙

 今日の毎日新聞で、アメリカ国防総省の報道官カービー氏が、29日(現地)の記者会見で、「現地の状況を見れば」と言ったところで9秒間沈黙した、という記事を読んだ。記事によれば、「プーチン氏やロシア軍がウクライナでしてきたことを見れば、倫理的、道徳的な人が正当化できるものではない」と語った直後の場面だったらしい。記事は沈黙について、現地の悲惨な状況が脳裏に浮かんだからではないか、とも推測している。
 この後、カービー氏は、自分が感情的になったとして謝罪し、続けて、「プーチン氏はロシアの国益ウクライナ国内のロシア人を守るためだと言うが、何もウクライナによって脅かされていない。それなのに何の罪もないウクライナ人が殺され、後ろ手に縛られて後頭部を撃たれている。妊婦が殺され、病院が爆撃されている。」と強調し、プーチン氏の言い分と現地で起きていることが「私の中では結びつかない」と述べたという。
 9秒間の沈黙・・・。私はその場で氏の表情を見ていたわけではないが、この沈黙は強く人を動かすものだったのではないか?新聞記事で読んでも、氏の沈黙も言葉も、珍しいほどまともな人間の思いを表したものとして、私は感銘を受けた。そう、これがまともな人間の感情というものであろう。声を大きくして話すことが、人に強い思いを伝えるとは限らないのである。
 報道は、「多くの民間人が殺されている」ことを問題視するものが多い。だが、私は、軍人なら死んでもいいのか?と思う。軍人というのが好戦的な人間であって、趣味で戦争をしているのなら死んでもいいのだが、決してそうではないだろう。特に、侵略を受けたウクライナ側の軍人は、やむにやまれぬ気持ちで、作用に対する反作用として銃を手にしているに過ぎない。
 もっとも、ロシアの軍人にしても大半は望んだ戦争ではないと信じる。多くの兵士は、いざという時のために軍人にはなったものの、他国を侵略することに加担することをよしとしてはいないはずだ。実際、演習だと言って前線に送り込まれたとか、目的地も知らずに出動したとかいった話も聞こえてくる。ウクライナにいるナチスから祖国を守るという奇想天外な大義名分を信じている人がどれだけいるのかも疑問だ。
 ロシアの大統領選挙が、どれほど公正に実施されているのか、私は知らない。仮に公正に実施されているとすれば、自分たちの選んだ大統領がご乱心に及んだ時、その累が自分に及んでくるのも仕方がない。それでも・・・である。
 欧米各国は、なぜウクライナに膨大な支援をするのだろう?自分たちの同盟国を増やし、縄張りを拡張するためにだと私は思いたくない。人がごく当たり前の日常生活を送ることができるように、そんな願いが込められているのではないのか?仮に私の認識が間違っていなければ、そのことをもっとはっきりと説明して欲しい。NATONATOと言うと、その点が曖昧になる。そんな中でのカービー氏の会見である。私には救いだった。なにしろ「まともな人間」の真情に満ちた言葉を聞く機会は多くない。