「能」の壁

 今日は、「第24回仙台青葉能」というのを見に、仙台まで行っていた。能を見に行ったのは、おそらく学生時代以来、35年余りぶりとなる。なぜ、突如、能を見に行こうなどという気になったのか・・・ちゃんとしたいきさつがある。
 私が「私は能楽に冷淡ではない」という記事を書いたのは、2016年3月15日のことであった(→こちら)。そもそも、その記事は、「上田龍一」君が2016年3月3日に当ブログに寄せたコメントを受けての記事であった。その上田君から、昨年秋、重厚なレポート「能の魅力を伝える試み(1)」(資料込みで全16頁)なるものが届いた。しかし、実際に能を見ずに、そのレポートについて云々言うことは憚られた。上田君には、今年の2月にも改めて不精をわびた上で、「仙台で、あるいは東京に出る機会に、久々に実演に足を運んでみて、改めてあのレポートの中身について考えてみようと思うようになりました」と書き送った。そしてその直後、コロナの関係で、過去2年間中止となっていた青葉能が今年は開催されることを知った。この機会に足を運ばなければ、またずるずると時間ばかりが過ぎてゆくと思ったので、チケットを買った。上田君もともかく、久々に能に接した時、自分の反応がどのように変化しているかということにも興味があった。もちろん、上田君のレポートは、この一週間で熟読した。
 今日の演目は、能「養老」(シテ:佐々木多門)、狂言「栗焼」(太郎冠者:野村万作)、仕舞「飛鳥川」(佐々木宗生)、能「枕慈童」(シテ:友枝昭世)。能は喜多流狂言和泉流である。
 結論から言ってしまうと、音楽にはそれなりに魅力を感じたものの、芝居としての能は、相変わらず耐え難かった。
 歌舞伎の音楽でも同様なのだが、あの音の響きには、日本人の感性にとって実にしっくりくる何かがある。能の音楽は、ある意味で単調極まりない。様式といったものも見えない。転調も起伏もない音楽が、メリハリなく、似たような曲想を延々と続けている趣がある。しかし、意味も分からずモーツァルトの歌劇を聴いていて心地よいのと同様に心地よい。
 一方で、芝居としての能は、以前書いた時と印象変わらず、抽象的で分かりにくく、緩慢な動作が延々と続くことに退屈した。今日の開演は13:30、終演は17:00であった。途中20分の休憩を挟んで3時間30分である。通常のオーケストラコンサートやリサイタルよりも、1時間半ほど長い。それでいて、演者の動きは抑制され、舞台の変化は乏しいのだから、実際の時間以上に長さを感じるのは当然だろう。そう言えば、学生時代、初めて能というものを見た時、当然2時間くらいだろうと思って行ったら、いつまで経っても終わらないので、だんだん気が遠くなってきたのを思い出した。
 今回、上田レポートで初めて知ったのだが、中世から今日に至るまでの約600年の間に、能一曲を演じるのに要する時間が、倍以上に延びているのだそうだ。能が武士の世で式楽(儀式用の音楽)化し、更に明治以降、古典演劇観とも言うべきものの影響を受けたたことが要因らしい。上田君は、それらを「権威主義的理想のゆえ」と書いている。確かに、権威は重厚長大を重んじる。速いということは軽いということでもある。もしも能というものが、単に古式を守るだけではなく、時代と友に変化することが許されるとするならば、その速さ=演能時間において、世阿弥の時間へと回帰すればいいのだ。その時、能がまたどのように見え変わるのか、それは興味を引かれる問題である。
 拙文「私は能楽に冷淡ではない(2)」に寄せた上田君のコメントには、次のように書かれている。

「かつて先生は授業の中で、『いやしくも何百年という間、人間が受け継いできた古典の中に、面白くないものはない。古典のよさが分からないのは、分からない方が勉強不足なのである』と仰られたことがありました。」

 う~ん、なんという立派な生徒であろうか。確かに私は、授業(主に古典)で「いいものしか古くなれない」「古いものはいいものである」「古いものの良さが分からないのは、作品が悪いのではなく、自分が未熟なのである」みたいなことをよく口にする。そして、自分の審美眼を信用できないがゆえに、私は意識的に古いものに接し、理解しようと努力する。そんな私にとって、能は手強い壁だ。上の部分に続けて、上田君は次のように書いている。

「そんな先生でさえもノックアウトしてしまう能楽という古典芸能は、やはり古典中の古典であると、誇らしく思う次第であります。」

 私をノックアウトするから「古典中の古典」であるというのはよく分からないが、能の良さをしみじみと感じ取っている立場からすれば、そういうことになるのであろうか。
 ともかく、現時点においても、私は潔く白旗を揚げるしかない。いやいや、2016年拙文の時点では、音楽がそもそも拒否の対象だったから、それから思えば多少は「進歩」したと言ってよいのだろうか・・・。