悩ましい武器支援

 ウクライナ東部の攻防は厳しい。必ずしもロシアの思惑通りの展開はしていないとは言え、ウクライナはせいぜい「善戦」のレベル。なかなかロシアを押し戻すには至っていないようだ。2~3日前には、ウクライナはこの間に武器の50%を失った、という報道もあった。ゼレンスキーは映像で登場するたびに、「早く武器をくれ。今後の戦況はそれにかかっている」というようなことを繰り返している。さて、今日は、ウクライナに武器を提供するという問題について書いておこう。
 日本は、攻撃用兵器を提供していない。自衛隊法や防衛装備移転三原則の制約によるものである。日本が提供したのはヘルメットや防弾チョッキといった、きわめて受動的な装備品だけである。ロシアからの戦争を受けて立たざるを得なくなっているウクライナからすれば、「子供だましか?」というようなレベルである。雨あられと降ってくる銃弾に対して、防弾チョッキを着てヘルメットをかぶりじっと耐えていろ、と言っているとしたら、ほとんどブラックユーモアの世界である。かと言って、もちろん、積極的に攻撃的兵器も供与せよ、とは簡単に言えない。
 戦争は常に情報戦なので、何が正しいかはよく分からないのだが、ウクライナに対してロシアが一方的に攻め込んだ、というのは間違いないだろう。ゼレンスキーがよく言うように、ウクライナがその戦争を受けて立たなければ、ロシアは際限のない侵略行為を続ける可能性がある。ロシアだけではない。他のそれなりに軍事力があり、身勝手な発想をする国々も追随するようになるだろう。困ったことに、戦争に勝つのは正しい方ではなく、強い方である。
 加えて、ロシアの侵略を黙って受け入れれば、その国は植民地化され、国民全体が奴隷状態陥りかねない。そう思うと、どうしても、売られた戦争は買わざるを得ない。いくら真面目に考え、円満な国際社会を作ろうと立派なことを言っても、相手(この場合はロシア)がまともでなければ、理想論は踏みにじられる。作用に対する反作用。悪に対しては理念にもとることをもせざるを得ない。本当に困った現実である。私は、感情的には抵抗があるし、日本に飛び火してくることを避けようと思えば、ウクライナには触らない方がいいのも分かるのだけれど、一方で、もっと積極的な攻撃兵器さえも支援しなければ、邪悪がのさばる困った世の中になることを認めることになってしまう。とても悩ましい問題だ。
 こんなことを考えながら、その悶々に追い打ちをかけるような新聞記事を見付けてしまった。先週の木曜日(6月16日)の毎日新聞、「木語(もくご)」という欄に載った専門編集委員・会川晴之氏が書いた記事だ。見出しはずばり「悩ましい武器支援」。
 記事によれば、善意(?)で供与した武器が、往々にして行方不明になるのだそうだ。例えば、アフガニスタンで、今回ウクライナに供与されているのと同じミサイル「スティンガー」を、アメリカは約2300基供与したが、そのうち約1600基が行方不明になった。ソ連の手に落ちたものもあれば、イランやチェチェンなどの紛争地域、更には国際的な闇市場を通して北朝鮮に流れたものもあるはずだという。危機感を持ったアメリカは、1基約4700万円のスティンガーを取り戻すため、3倍近い1億3000万円以上を投じたが、結局600基は行方不明のままだという。これらのことを書いた上で、会川氏は、ウクライナに関しても、紛争終結後の拡散が懸念されていると指摘する。実際、2014年以降続くドンバスでの親露派勢力とウクライナ政府軍との戦闘では、30万の武器が行方不明となり、闇サイトで取引されているらしい。
 これは、思いも寄らなかったことではあるが、確かに、言われてみれば「さもありなん」である。供与した武器が目的の通りに使用されたかどうかなんて分からない。特に砲弾のような消耗品については、「撃ってしまった」と言えばそれでおしまい、である。武器本体も、戦闘行為で破壊されたと言ってしまえばそれまでである。切羽詰まった紛争状態では、なかなか目的外使用の余裕もないだろうが、紛争終結後が怪しいのはよく分かる。「足りない、足りない」と大騒ぎしながら、将来のために隠しておくということだってあり得るだろう。鹵獲品としてロシアの手に渡れば、通常でも貿易に厳しい制限のある特殊技術が流出してしまう。いや、これに関してはウクライナだってやりかねない。
 単に倫理的な問題だけではなく、武器の供与というのは本当に難しいものである。会川氏も言うとおり、それでも「いま、支援を止めればウクライナは確実に負ける」。武力闘争を否定するという理念、外国から侵略されているという現実、防衛のために武器供与しても悪用される可能性があるという危惧・・・この三つどもえのジレンマの中で、どんな判断が最善なのか。結局のところ、人間の良心に期待することには無理があるとなれば、目的外使用を不可能にするような技術開発に期待するしかないのかも知れない。人間の愚かさは、愚かさの上塗りを引き起こす。哀しい現実だ。