会議の自己嫌悪

 暑くなった。金曜日は、仙台が27℃、石巻が20.5℃で、いつもいつものことながら、さすがは石巻!などと思っていたのだが、昨日は仙台35.1℃、石巻34.7℃で、ほとんど差がなくなってしまった。それでも、「本物の夏」に比べれば、朝晩の気温が下がるので、体への負担はさほど感じない。
 さて、仙台が猛暑日となった昨日、その仙台で組合の定期大会に出席していた。数日前に議長をやってくれ、と電話がかかってきた。最近、組合はメンバーの数が少なく活力がない。加えて、面倒な議論を避けるという「平和ぼけ」の波がここにも押し寄せていて、議論が白熱するとか紛糾するということは絶えて久しくない。そこで私は、気軽に議長を引き受けた。居眠りも内職もできなくなるのは痛いな、と思ったが、それくらいは仕方がない。
 冒頭で、議事運営委員という人から、日程表が配布、提案される。議長には、かなり詳細なマニュアルも渡されている。基本的に、マニュアルに従い、日程を崩さないように議事を進めることになる。ちなみに、議長は2人である。途中で、このやり方はよくないぞ、と思ったのだが、そこから独断で進行の仕方や時程を変えるわけにはいかなかった。予想通り、一切紛糾することなく、淡々と一日が終了したのだが、あまり後味がよくない。「しゃんしゃん総会」である。こんな会議をしていたら、まともな人に限ってそっぽを向いてしまうな、と思った。
 少しだけ説明しておこう。
 執行部から提案があった後、発言者を募る。時間が限られているので、時間を発言者数で割って、1人あたりの発言時間を示す。すると、それぞれの発言者は一方的に話をするだけで、その発言に対する質問や反論を受け付ける余裕はない。「討論」の時間とされてはいるものの、実際には討論ではなく、スピーチである。すると、誰かが的外れな、もしくはよくない発言をしても、執行部答弁で否定されなければ、それがあたかも正論であるかのようになってしまう。
 ほとんど毎年のように出席していて、そんなことは分かっているはずなのに、どうして最初の時点で、もう1人の議長と相談し、マニュアルを拒否して、本当の意味での討論が成り立つように進行しようとしなかったのだろう?ほとんど自己嫌悪に陥った。だが、そもそも、討論に当てられた時間が午前と午後合わせて2時間しかないとなれば、本当に難しい問題があっても、紛糾してはいられない。
 予期していたことではあったが、憲法改正や防衛力整備問題などについては、今の共産党の立場と同じで、全否定であった。冒頭の委員長挨拶、来賓による祝辞で、一貫してそのように言われてしまうと、討論の場で異論を述べることは非常に難しい。
 「戦争反対」は理念としていいのだが、防衛力を持たない、国際紛争を解決するための手段として外交以外を想定しないとすれば、侵略者が現れたらそれでおしまい。「丸腰の人間をまさか殺せないよなぁ」というのは良心的な人であって、邪悪な人にしてみれば「しめしめ」である。そして、戦争を起こすのは邪悪な人だ。侵略に抵抗しなければ、国は完全に乗っ取られ、皆殺しも含めて、何をされても文句は言えない。そこまで考えて、全ての組合員が「武力を持たない日本」を望んでいるとはとても思えない。最終的に一致できるかどうかは分からないけれど、これなんかは典型的な紛糾すべき問題である。私が一代議員の立場で発言し、紛糾させればよかった。・・・とは後から思ったこと。そして、またもや自己嫌悪に陥る。
 その他、「おいおい、ちょっと待てよ」という発言は、他にもいくつかあったのだが、最初に書いたとおり、誰かの発言を受けての発言はできない仕組みになっていたので、そのままになってしまった。
 ところで、会場に教え子と準教え子(=私は実際には受け持っていない。教育実習で少し接した。弟2人は私の教え子)がいた。会議が終わった後、暑いことだし、仙台駅前でビールでも飲もうや、という話になって、3人でビールを飲みに行った。
 駅前の焼き鳥屋はひどく混んでいた。コロナって、何の話だっけ?という感じさえする。いいことだ。
 酒の席で、今書いてきたような会議の問題が話題になった。私は私で自分の思いは述べ、彼らの思いにも耳を傾けた。同じ思いを無理強いしたつもりはないが、なんだかあまり価値ある会議ではないと感じたことについては共通していたようだった。世の中全体の衰退は、あらゆる場所を巻き込んでいる。組合も同様である。おそらく、その流れに対して全く抵抗し切れていない自分も含めて、だ。世の中はどこへ向かって行くだろう?・・・だけどビールは美味く、酒席は楽しかった。