ロシアの民主主義

 ロシアによるウクライナへの軍事侵攻はプーチンが始めた。よく言われることである。そして何事につけてもプーチンプーチン。まるでプーチンさえいなければ、ロシアが何も悪いことなんかしないような言い方だ。欧米メディアからよく報道されるプーチン重病説などは、それが期待へと形を変えたもののように思える。私はプーチン1人を悪者にするのは甘いだろうと思っている。プーチンは確かに悪いが、プーチンがいなくなっても、似たような人間(例えばラブロフやメドベージェフ)が、そのまま跡を継ぐのではないか?
 ところで、私が以前から疑問なのは、プーチンだって選挙で選ばれたはずなのに、報道を見ていると、いかにも独裁者的な感じがする、ロシアの民主主義ってどうなっているんだろう?ということであった。そんな折、昨日の朝日新聞に、ロシアの政治体制についての大きな解説記事が出た。書いているのは、論説委員の駒木明義氏である。見出しは「ロシア 形だけ民主主義」「メディア・選挙を無力化 固めた独裁」である。
 その記事によれば、2000年、プーチンが初めて政権の座についた時、真っ先に取り組んだのがメディアへの統制強化だった。リベラルなテレビ局NTVのオーナーが横領や詐欺の容疑で国外へ亡命すると、NTVは政府系企業の傘下に入り、政府の公式見解ばかりを伝えるようになった。
 次が、大統領選挙の形骸化である。憲法上の規定でプーチンが大統領を一度止めた2008年、プーチンは2人の第一副首相の中からメドベージェフを後継者に指名した。地方政府の首長も公選制度を廃止し、事実上の任命制度とした。8年後に公選制は復活したが、プーチンは意中の候補者を選挙前に知事代行に指名し、「現職」という有利な立場に置く手法を用いて、選挙をコントロールしている。
 下院選では、「政治技術」という手法を使って批判勢力の排除を進めた、と書かれているが、ここから先は長くなるので省略する。
 う~ん、なかなか周到でおぞましいことだな、これほど浅ましい執着を生み出す政治権力の魅力というのは本当に恐ろしい・・・などと思ってみたものの、なんだか釈然としない部分も多い。例えば、今書いた大統領選挙の形骸化がいい例だ。なぜ、プーチンがメドベージェフを指名したというだけで、勝負が決まらなければいけないのだ?記事は、「大統領選の有権者プーチン氏ただ1人」と言われたと書くが、プーチンが支持するに値しないと思ったら、メドベージェフに投票しなければいいだけの話である。大切なのは、秘密投票が守られているかどうかと、国民が権力者をしっかりと監視していたかどうかのはずだ。
 地方政府の首長だって、上に書いたようなやり方について、有権者が「ずるい」「けしからん」と思えるかどうかが問題である。プーチンが指名したかどうかに関係なく、知事代行=現職だから投票しよう、というのは浅はかに過ぎる。
 記事を読めば、確かにプーチンという男はしたたかで腹黒い。だが、国民がしっかりとした政治意識さえ持っていたら、独裁状態を作り出すことはなかったはずだ。国民が、この男は危ないと気付くチャンスはたくさんあったように見える。国民が、政治参加をサボったのである。
 記事は、レバダセンターという組織が5月にロシア国内で実施した世論調査の結果も紹介している。それによれば、「ウクライナでの破壊や一般市民の犠牲について、あなたに道義的な責任があると思いますか?」という問いに対して、「完全にある」はわずか11%、「ある程度ある」が25%、そして過半を占める58%の人が「まったくない」と答えている。
 改めて確認するが、この記事から判断する限り、プーチンが実質的な独裁状態を作っていくプロセスには、その策謀を止めることのできるチャンスがたくさんあった。したがって、今のロシアのあり方について、ロシア国民には間違いなく大きな責任がある。だが、そのことに人々は気付いていない。もしくは、気付きたくない。
 それは非常に困ったことだが、それを責めることも難しい。なぜなら、近い将来、日本が滅茶苦茶になったとしても、日本人はその責任が自分たち自身にあることを認めないだろう、ということが、身の回りを見ていて容易に想像できるからだ。民主的に選挙で選んだ代表者が横暴を働くことも、民主的なシステムが形骸化することで非民主的な人間が権力を握ることも、元々社会に民主的なシステムが存在したとしたら、有権者の責任である。だが、人がその責任にさえ気付けないとしたら、どうすればいいのだろう?私には、どうしてもロシアが他人事には見えない。