あれから1週間

 安倍元首相が銃撃され死亡してから、早いもので1週間となった。その間に、参議院議員選挙があったのだが、結果が予想の範囲内だったこともあり、多少体調が優れなかったこともあって、特にコメントもしないままになっていた。
 また、この間に、私が9日に書いた記事(→こちら)について、友人から忠告のメールをもらった。曰く、「亡くなった元総理を三流の人間とか嘘つき呼ばわりするのは如何なものかと思います。大嫌いとはいえ、日本人として、冥福を祈るくらいの気持ちは欲しかったです。」
 確かにそうだったかも知れないなぁ、と思ったが、何しろデリケートな問題だし、私はとかく考えるのに時間がかかるので、どうしたものかな、メールで意思疎通するとこじれそうで嫌だな、と思いながら、それからまた2日ばかり経った。
 今日の河北新報で、作家の高村薫氏が書いた文章を読んでいて、ひどく共感を覚え、自分自身の思うところも明瞭になってきたような気がしたので、それを借りる形で、ようやく、少し考えを整理しておこうという気になった。見出しは「過剰反応 民主主義の脅威」「政治の功罪 冷静に判断を」である。少し長い引用をさせてもらう。

 「日本では死者にむち打つなという風潮が強いが、民主主義を軽んじる振る舞いを繰り返した安倍氏の功罪は、冷静に判断されるべきだ。
 安倍氏の国会軽視は甚だしかった。うその答弁を積み重ね、憲法に基づき野党が臨時国会召集を求めても、はねつけた。憲法9条の解釈を変更し、集団的自衛権を容認する閣議決定のために、内閣法制局長官を自分にとって都合の良い人物に代えさえした。
 そうした手法がもたらした最悪の形が、学校法人『森友学園』への国有地払い下げに端を発した財務省の公文書改ざん問題だった。元首相の名を冠した経済政策『アベノミクス』は進めることもやめることもできず、着地点を見失っている。
 自分と考えを同じくする人と、それ以外とを区別し、多様性を認めない非民主主義的な手法は政治をゆがめた。」

 と、いわば安倍氏の「罪状」を並べ立てた上で、次のように書く。

 「だが、事件は一定の批判すら吹き飛ばしてしまった。こうした過剰反応こそ民主主義への脅威だ。事件と安倍氏の功罪を分けて考えることこそ、民主主義国家のあるべき姿のはずだ。」

 この世で私が最も憎むのは「不誠実」である。そんな私にとって、口では「誠実に丁寧に説明する」と言いながら、実際にはまじめに説明などせず、国民のバカさ加減を見透かして、はぐらかし、忘れるのを待つということを繰り返した安倍晋三という人は、「不誠実」そのものであった。高い地位にある人の不誠実は、与える影響が大きいだけに、なおのこと良くない。一方、申し訳ないが、私には安倍氏でなければできなかった「功」なんて思い浮かばない。
 おそらく、あの事件の直後、私が非常に不愉快に思ったのは、それまで安倍氏のことを私と同様に激しく批判していた人達が豹変し、いかにも見識ある政治家だったというようなお悔やみ発言を始めたことだ。高村氏の言う「死者にむち打つなという風潮」そのものである。評価の変更が本心なら軽薄だし、そうでなければ虚礼として空々しい。私のやや強い失礼表現は、そのことに対する反感に基づいている。
 ただ、以前にも何度か書いたと思うが、安倍氏は勝手に首相を名乗り、いかなるチェックも受けずに好き勝手をしていたわけではない。国民の選択の結果である。したがって、安倍氏の問題は安倍氏個人の問題ではなく、国民(有権者)の問題である。安倍氏が「勘違い」(高村氏は、私より更に厳しく、統一教会がらみで安倍氏が恨みを買ったことも、安倍氏の無定見な行動に原因があったとして問題視している)によって殺されたことで、安倍氏に関する問題を「チャラ(ノーサイド)」にすることは、その間の国民の政権監視能力や判断を全て「チャラ」にしてしまうことである。それは、是非を考えながら賢くなり、少しでもましな社会を作るという動きを封じることになる。おそらく、高村氏が言っている「民主主義への脅威」とはそういうことである。
 私は殺された安倍氏を気の毒だと思うし、人を殺すことで自分の不満を解消させようという身勝手な発想を憎む。しかし、それはそれ、これはこれ、高村氏が言うとおり、功罪は分けて考えられるべきなのだ。安倍氏が成立に深く関わった法令は今も効力を持っているし、今後も次の改正までは効力を持ち続けるのだから、突然の死をもって、氏が政治家としてやったことについての検証や評価を停止するのはそもそも不合理だ。彼の不誠実極まりない政治姿勢も、それらの法令を作る過程で一体のものなのだから、当然、検証や評価の対象となる。私たちは、あのような政治家を生まないようにする努力を続けなければならない。
 高村氏が事実を積み上げているのに対して、私の前回の物言いは主観的、感情的に過ぎたかも知れない。そんな私に忠告してくれる友人がいることはありがたいと思う。では、私は「冥福を祈る」と書くべきだっただろうか。悩ましい。でも大丈夫。安倍氏が私の前述のような真情(評価)を知っていたら、そもそも安倍氏の側で、私にそんなことを望まないだろうから・・・。