体育館でのお話

 木曜日に、夏休み前最後の学年集会があった。いろいろな担当者から話をする中で、生徒指導部の割り当てもあった。本来、古参のT先生が話すのが順当なのだが、T先生は野球部の監督でもあって、その日は生憎甲子園予選の試合があった。他にも、生徒指導部の先生はいたのだが、「年の功」ということで、学年主任から「平居先生お願いします」と言われた。出番は進路、教務に次ぐ3番目で、与えられた時間は5分。
 夏休み中の注意事項について通り一遍の話をすればいいのだが、そのために5分は長いような気がした。しかも、基本的に生徒が聞いていて楽しい話はない。進路や教務の話を聞いていたら、なおのこと、「注意」はつまらない=生徒は聞かないような気がしてきた。「お利口さん」がそろっているので、ざわついたりはしないのだが、それと「聞いている」は別である。
 ふと思い立って、次のような話をした。

「こんにちは。私は今年この学校に来て、美術部の顧問をしてるんですけど、それまでは登山部の顧問が長かったんですよ。山岳部とか、ワンダーフォーゲル部とか、名前はいろいろですけど、要は山登りをする部活です。登山部の顧問をしていると、今の時期はちょうど夏山合宿の計画書作りをしています。サッカーでも野球でもバスケでも、どこかに遠征に行く時には必ず計画書を作って出すことになってるんですけど、登山部の計画書はひと味違います。細かいんです。
 食糧を何食分持っているか、炊事用のガスをどれくらい持っているか、危険箇所で使う補助ロープは直径何㎜のものを何m持っているか、更には、どこかで事故が起きた時にどうするか、最寄りの山小屋に避難するとか、予定とは違う別のルートを使って下山するとか、しかも、それは自分たちの歩くルートの中のどこで事故が起きるかによって、何通りも想定しなくちゃダメなんです。その上、サッカー部なら提出は学校だけ、県外遠征の場合は教育委員会もですが、登山の場合は、その他に宮城県と、自分たちが登山する山のある県の県警地域課にも出さないとダメなんです。
 毎年日本の山では何十件かの遭難が発生します。そのたびに、計画書が提出されていなかった、捜索が難航している、みたいな報道がされます。不思議なことに、遭難した人達の計画書未提出率って高いんです。今、不思議なことに、って言いましたけど、本当は不思議でも何でもありません。安全登山ということを真面目に考え、事前の準備をきちんとする人は計画書を出す、考えの甘い人は面倒くさがって計画書を作らないし出さない、だから計画書を出した人はあまり事故を起こさず、計画書を出さない人に限って事故を起こす、そういうことです。
 えーと、私がどうしてこんな話をしたかというと、今日、生徒指導部から各担任の先生に、『夏季休業中の心得』っていうプリントを配布しました。この後にでも、皆さんに配布されるはずです。学校が何を言っているかな、夏休みの過ごし方について気を付けなければならないことって何か確認しておいた方がいいな、といってプリントに目を通す人は、おそらく事故を起こしません。『うざ』とか、『めんどくせぇ』とか言ってぽいって捨てる人が危ないんです。ほら、登山計画書と同じでしょ?今の私の話をどう聞くかだって同じことですよ。
 私は、勉強する時に、よく『学ぶ人は何からでも学ぶ、学ばない人は何があっても学ばない』ということを言いますけど、人間の『気持ち』とか『意識』ってとても大切です。それによって、同じことをしていても、意味は全然変わってしまいます。いいですか?大切なのは、プリントに何が書いてあるかではなくて、それをどんな気持ちで手にするか、だからね。いい夏休みにして下さい。あ、プリントちゃんと読んでおいてよ。」

 というわけで、プリントの具体的内容については何も言わないまま、「注目、礼!」となったのであった。ふふふ。