佐藤陽子、そしてブロムシュテッド!

 今朝の朝刊で、佐藤陽子が死んだことを知った。ヴァイオリニストで声楽家、エッセイストという多才な人だ。おそらく、まだ私が学生だった頃、何という番組だったか憶えていないのだが、テレビをつけるとこの人が映っていた。スタジオでモーツァルトのヴァイオリン協奏曲の一節だったかを弾いた。その曲を弾いたのは十数年ぶりだと言っていた。アナウンサーが驚いて「一度憶えた曲は忘れないんですか?」と尋ねたところ、ためらいもなく「忘れませんね」と答えていた。才能というのはすごいものだと感心した。おそらく実演に接したことはない。池田満寿夫との恋愛がずいぶん話題になって、そのことも耳にしながら、思うがままの人生っていいな、と羨ましく思ったことも憶えている。記憶はその程度だ。
 72年というのは、今どきの人としては早死にと言っていいだろうが、才能に恵まれ、自分自身に対して正直に、とても幸せな人生を送ったような気がする。合掌。

 佐藤陽子が72歳で死んだと言えば、一方、指揮者のヘルベルト・ブロムシュテッドが、先月11日に95歳となった。それを記念して、ドイツで作られたドキュメンタリー映画「音楽が奏でられるとき、魂は揺さぶられる」(90分)がNHKで放映された。なぜか、7月10日に超短縮版、17日に短縮版、そして24日に完全版と3回にわたって、である。1回目、2回目は地上波、3回目はBSであった。
 我が家はBSが映らない。しかし、どうしても完全版が見たかったので、知人に頼んで録画してもらい、それをようやく全て見終えた。なにしろ、90分のドキュメンタリー番組の前後に二つの演奏会の映像が付いているので、収録時間は5時間半にもなる。見るのに1週間もかかるわけだ。もう少し具体的に書くと、次のような内容であった。

【第1部】2021年8月 ザルツブルグ音楽祭(ウィーンフィル
 オネゲル 交響曲第3番「典礼
 ブラームス 交響曲第4番
【第2部】ドキュメンタリー「音楽が奏でられるとき、魂は揺さぶられる」
【第3部】2020年8月 ルツェルン音楽祭(ルツェルン祝祭管弦楽団
 ベートーベン ピアノ協奏曲第1番(独奏:M・アルゲリッチ
      同    交響曲第2番  交響曲第3番「英雄」

 ブロムシュテッドは言わずと知れたNHK交響楽団の桂冠名誉指揮者で、90歳を遙かに過ぎた今もなお、毎年秋に来日する。今年も10月に来ることになっている。芸術家と宗教家、中でも自らは音を出さない純精神労働者である指揮者は、年を取れば取るほど価値が高まるとも言われたりするが、決してそんなことはない。誰とは言わないけれど、80歳くらいでも、「既に終わったな」と思わせる人というのは存在する。
 しかし、ブロムシュテッドは違う。毎年、N響にやって来るということもあって、テレビの画面でこの人の音楽作りを目の当たりにする機会というのは非常に多いのだが、およそ衰えというものを感じない。老巨匠による円熟の演奏、というのではない。ブロムシュテッドの外見だけではなく、音楽そのものが非常にはつらつと若々しいのだ。
 今回の映像を見て、その思いはますます強まった。そして、なぜブロムシュテッドにそんな演奏が可能かと言えば、単にオーケストラとの間に信頼関係があり、オーケストラがブロムシュテッドの小さな動作から意図を忖度し、老いによる衰えをカバーするからではない。ブロムシュテッドの衰えが信じられないほど少なく、大きくはっきりとしたモーションでオーケストラに明瞭な指示を与えているからであり、ブロムシュテッドが音楽を心から愛するために、絶えず楽譜の研究を怠らず、楽譜から新鮮な情報を取り出すことに成功しているからだ。二つの演奏会録画を見ながらまず私が思ったのはそのことである。(続く)。