ブロムシュテッド!!

(タイトルは変わったが、昨日の続き。)

 今回放映された演奏は、どれもすばらしい演奏である。ウィーンフィルは、名人芸にも支えられて正に王者の風格。コロナ禍ということで、わずか35人にメンバーを絞ったルツェルンは、その響きの明晰さと、きびきびとした音楽作りが実によく調和している。そんな中で特に私の印象に残ったのはピアノ協奏曲だ。これはもちろん、ブロムシュテッドが主役ではない。
 アルゲリッチは、当代最高のピアニストと言われていて、我が家にも少なからぬ彼女の録音がある。しかし、私は今までその真価を実感したことはなかった。今年だったか、昨年だったかの正月に、娘がプロデュースしたドキュメンタリーを見たが、それを見ても、彼女に対する興味も感動も沸いてこなかった。
 ところが、今回のベートーベンはいいと思った。音楽作りそのものというよりは、アルゲリッチとブロムシュテッドが、どちらも余裕綽々で、肩に力の入ったところがまるでなく、心から音楽を楽しんでいるという感じが強く伝わってきたのだ。ベートーベンの音楽を舞台に、気心の知れた二人が遊び戯れているといった感じだ。アルゲリッチもこの演奏時、既に79歳。いくら比較的易しい協奏曲とは言っても、技術的な衰えが感じられないのはブロムシュテッド同様の驚異だ。2人足して172歳!これこそが「境地」というものなのだろうか?
 ドキュメンタリーは、現在のブロムシュテッドに対するインタビュー映像を交えて、彼の生い立ちや、音楽についての考え方などをバランスよくまとめている。90分番組として、ほとんど過不足を感じない。よくできた作品である。ふんだんに用いられているリハーサル映像や、スウェーデンの別荘(と紹介されていたが、ご子息の家ではないのか?)での私生活の様子なども興味深い。
 番組の冒頭では、90歳の誕生パーティーで、多くの人に囲まれて祝福を受けているブロムシュテッドが映し出される。その後、カメラは母国スウェーデンの別荘における彼の生活を追いながら、生い立ちに関わる話へと進んでいく。17年前に亡くなったという妻の墓前にたたずむ時の、実にしょんぼりとした姿が、ドキュメンタリー全体の中で唯一彼のマイナスの感情を映し出す印象的な場面であるが、それとて、ブロムシュテッドが「望む限り最高の女性だった」と語る女性との出会いあればこその不幸である。
 その能力と性格の故に、自分が本当に好きな音楽を思い通りにやり、ウィーン、ベルリン、ライプツィヒドレスデンバンベルク、サン・フランシスコ、東京など世界各地で最高のオーケストラを与えられ、多くの人に愛されながら95歳まで現役として多くの舞台に立ち続けている。知的で上品、長身痩躯に美しいシルバーヘアー。峻厳極まりないムラヴィンスキーを柔和にしたような感じで、威厳を持ちつつ温かさを感じさせる。そんな見た目も非常に魅力的だ。映像を見る限り、どの場面を取っても、なんという幸せな人生であろうか、と思う。
 以前、ブロムシュテッドがN響で「英雄」を演奏した時、インタビューの中で、「英雄」をベートーベンの最も優れた交響曲であると言っているのを聞いて、私はひどく共感と親近感を感じたことがある。今回のドキュメンタリーで、初めて彼のバッハに対する思いを知り、これまた共感と親近感を覚えた。少しだけ映し出されたロ短調ミサ曲の演奏も、とても素直に受け入れられる解釈の演奏だった。もしかすると、音楽に関する感性の部分で、私と共通する部分が多い人なのかも知れない。
 番組の中でブロムシュテッドは、自分自身の信条を表すものとして、「音楽家に求められるのは、他者の偉大さを認めることだ」というメンデルスゾーンの言葉を紹介していた。ドキュメンタリーを見、彼の指揮する音楽を聴く時、何とも爽やかな幸福感に満たされるのは、彼がそのような信条に基づいて音楽作りをしているからなのかも知れない。

【補足】
 私が気付いたのは7月の半ばになってからなのだが、ブロムシュテッドは、95歳の誕生日を目前にした6月25日、ベルリンで転倒し、入院したらしい。その後の経過や退院についての情報は、今のところ探せない。いかにブロムシュテッドといえども、不死身ではない。いつか必ず限界は来る。今回の転倒がそのきっかけにならないことを願う。私は聴きに行けないけれど、来られるといいなぁ。今年10月のN響定期演奏会