学習指導要領の哀しさ

 昨日、朝起きたら、例によって見慣れない船が浮かんでいた。せいぜい300トンくらいまでの小さな船で、調査船か練習船と思われた。気にはなるが、手掛かりがないので、面倒に思いつつ(我が家のパソコンは立ち上げに非常に時間がかかるので・・・)、Marine Trafficで調べてみたところ、「Kaisyo」と出てきた。船種は「Fishing」(漁船)だ。
 アルファベット表記しか出て来ないのが、このサイトの欠点である。幸い、「Kaisyo」なら「海翔」であると容易に想像がつく。そこで、「海翔」で検索してみると、ははぁ、岩手県の共同実習船、171トンであると分かった。岩手県にある水産科を持つ三つの学校、すなわち宮古水産、高田、久慈東高校が、共同で使用している船である。船種が「漁船」であるのは一般的な話で、我が「宮城丸」だって、登録は「漁船」である。
 そう言えば、半月あまり前、宮城丸と同様、500トンから700トンくらいの練習船が停泊しているのが見えた。船のサイドに赤い線が引かれている。東北のどこかの実習船だとは思ったが、面倒で調べなかった。今回「海翔」を調べていて、同じく岩手県の共同実習船「リアス丸」だと分かった。船、楽しいなぁ。(今日からカテゴリー「船」を新設!)
 さて、朝から「海翔」を見付けて喜んでいた昨日の昼間は、教育課程研究集会という実に楽しくない会が行われる日であった。教育課程研究集会というのは、学習指導要領の内容について、文科省が県の指導主事を通して下々に伝達するための研修会で、国が現場を管理統制しようという強い意志を表すものである。「研究」などと書かれているから、学習指導要領を批判的に検討するのだろう、などと想像するのは正常な意識の持ち主であるが、残念ながら文科省の発想とは相容れない。批判的な検討は一切求められない。ただただ従順に受け入れることだけが求められている。「研究」すべきはお上の意志の忠実なる実行方法だけである。
 しかも、教科によって多少の前後はあるが、嫌がらせのように必ず夏休みのど真ん中に設定されていて、教科の誰かが参加しなくてはならない。だから、芸術科や家庭科のように、専任が1人しかいないなどという場合は大変。必ず毎年、夏休みがこの研修会によって分断されるということになる。
 以前も書いたことだが(→こちら)、県の偉い人(指導主事)の頭の構造というのは不思議である。多分、県庁で県内80校あまりに目を光らせ、上がってくる文書を処理しているからには、ものすごく事務処理のよくできる方で、そのための頭の回転は非常に速いのだろうが、文科省から降ってきたものに対する問い直しは絶対にしない、そういう特殊な能力を持っている。学習指導要領に対する疑問や文句は、持っているけど言わない、のではなく、本当に持っていないように見える。
 本当は、多賀城市東北歴史博物館で行われる予定だったのだが、コロナ第7波の影響で、10日ほど前にオンライン開催にするとの通知が来た。指導主事のありがたいお話を拝聴する時にはマイクも映像もオフにしろと言われたので、接続だけしておいて、昼寝をしていても良さそうなものだが、平居と言えども教員の端くれ。真面目人の哀しさで、ついサボらずに話を聞いてしまう。もっとも、そこには、今回こそ少しまともな話をするのではないかという無駄な期待と、指導主事の特殊な能力に対する一種の「怖い物見たさ」があったのは確かである。
 私のような凡人には、なぜこんなことをいかにも大切であるかのように語るのかが理解できない。例えば、今年強調されたことの中に、教えるのは身に付けさせたい力であって教材ではない、ということがあった。更に具体的に言えば、芥川龍之介羅生門」を授業で扱う場合、教えるのが教材ではない以上、「羅生門」を読むことに気を取られすぎてはいけない、あくまでも、目標は「登場人物の心理を読み取る」力を身に付けさせることなのだ、ということであろう。え?「羅生門」を一つの作品として読み味わう上で、「登場人物の心理を読み取る」ことは大切で、それをしてこそ作品は生きてくるわけだから、その点を疎かにする気などは私にもないのだが、作品が「羅生門」であることをあまり意識せずに、「登場人物の心理を読み取る」力の涵養に意識を集中するというのは困難なことである。作品に対する興味や感動があってこそ、登場人物の心理を深読みしようという気持ちも生まれてくるし、その力も付いてくるものではないか、と思う。だが、そんなことは「余計なこと」であって、考えてはいけないのだ。
 今の1年生から新学習指導要領に切り替わり、シラバスには扱う作品名を書くな、教える内容を書け、と言われるようになった。前段に書いたようなことは、このシラバスに関する書き方指示と整合的だ。だが、教材名を書いていなければ、せっかく持っている教科書のどこを勉強するのかも分かりにくいし、この3週間で「登場人物の心理を読み取る」が終わったから、次は「論理の組み立て」を学びますよ、などというのも非現実的で、私にはやっぱり理解不能だ。頭のいい人の考えることは分からない。(続く)