西村尚也リサイタル(1)

 昨日から夏休みに入った。そしてその初日と2日目、東京に行っていた。西村尚也というバイオリニストのリサイタルを聴くためである。
 実は、お父さんがちょっとした知り合いである。2ヶ月ほど前に、そのお父さんからお手紙をもらった。「ドイツ在住の息子が帰ってきてリサイタルを開くので、招待するから聴きに来ないか?」というようなことが、丁寧な言葉で書かれていた。ご子息がバイオリニストであることは知っていたが、どの程度の演奏者であるかは知らなかったので、バイオリン1挺のために暑い盛りに東京まで行くのもなぁ・・・などと思いながら、同封のチラシを見ていたら、急に気が変わった。まずは、そこに書かれている履歴を写しておこう(長いので端折りながら書くが、端折ったところに「中略」とか入れるとうるさいので書かない)。

「1985年生まれ、名古屋出身。
2001年ドイツのマインツで開催されたイフラー・ニーマン国際ヴァイオリンコンクールで、ジュニア部門第1位を受賞。
2003年東京芸術大学に入学後、渡独。マンハイム国立音楽大学に入学し、最優秀の成績で卒業。
2004年のファビオ・ルイジ指揮のパンパシフィック・ミュージック・フェスティバルをはじめとして、在学中より頻繁にコンサートマスターとしての経験を積む。
2007年バイエルン放送交響楽団(首席指揮者マリス・ヤンソンス)のアカデミー生となり、プロオーケストラでの演奏活動を開始した。
2010年5月、ラインランド=プファルツ州立管弦楽団の第1コンサートマスターに就任。同年夏、小澤征爾氏復帰後初のサイトウキネンオーケストラに最年少で参加、12月には同楽団のニューヨーク公演にも同行した。その後、ハンブルグ交響楽団の第1コンサートマスターを経て、現在マインツフィルハーモニー管弦楽団の第1コンサートマスターを務めている。
これまでにパリ管弦楽団、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団、フランクフルト歌劇場管弦楽団ザールブリュッケン放送管弦楽団をはじめとするヨーロッパ各国の著名なオーケストラにゲストコンサートマスターとして招かれた。(以下に、独奏者として共演したオーケストラやソリストの名前がたくさん書いてある。)」

 新聞や専門誌でどのように書かれたか、などというのは、どれほどアテになるか分からないが、このような客観的な事実はごまかしようがない。そして、これを見て「すごい」と思った。学生時代から、単なる「上手なバイオリン弾き」ではなく、「コンサートマスター(=オーケストラリーダー)」としての才能を見出され、「英才教育」であると同時に「職人的な訓練」を施されてきた逸材である。「知人の息子さん」ではなく、「本物のバイオリニスト」に出会えるのではないかという期待が猛烈に高まった。2割くらいは、久しぶりでお父さんに会いたいという気持ちもあって、私は東京に行くことにし、お父さんにメールを送った。
 会場は代々木上原にあるMUSICASA(ムジカーザ)という定員120人の小さなホール。チラシに書いてあった沼沢淑音というピアニストが体調不良で、エマニュエル・リモルディ氏に交替となり、プログラムも大幅に変更しての開催となった。一応、プログラムを書いておこう。
(前半)
バルトーク(セーケイ・ゾルターン編曲)「ルーマニア民族舞曲集(6曲)」
クライスラー 「愛の悲しみ」
ポルディーニ(クライスラー編曲)「踊る人形」
ブラームス バイオリンソナタ第2番イ長調、作品100
(後半)
ドビュッシー 「前奏曲集第1集」より
  「ミンストレル」(ドビュッシー編曲)
  「亜麻色の髪の乙女」(ハルトマン編曲) 
イザイ 無伴奏バイオリンソナタ第3番ニ短調「バラード」、作品27-3
ラミレス「アルフォンシーナと海」
ヴィエニャフスキ「創作主題による変奏曲」イ長調、作品15
(アンコール)
キュイ「オリエンターレ
?「?」(素性がよく分からない有名な曲。私が思うに、20世紀初頭のアルゼンチンタンゴを編曲したものではないか?)
                                                                                   (続く)