ライプツィヒのバッハとスマホ

 余韻を楽しむ、というのは大切である。音楽を聴いた後でも、映画を見た後でも、小説を読んだ後でも、少しの間は何もしないようにしている。「何も」というのは少し分かりにくいかも知れない。音楽を聴いた後なら、音楽は聴かない、映画を見た後なら、映画は見ない、小説を読んだ後なら、別の小説は読まない、ということである。「少しの間」って・・・?それはケース・バイ・ケースだ。たいていは、少なくともその日のうちは、という程度のものである。
 東京から帰った翌日、母の退所に付き合った後、いそいそと東北学院大学土樋キャンパスに行った。「時代の音」というレクチャーコンサートがあったからである。大学が主催で、音楽史に関して毎年ひとつのテーマを決め、たいていは3回シリーズで、解説と演奏によって説き明かしていくという講座だ。
 何しろ、東北学院大学には今井奈緒子というとても有名なオルガニストが教授としている。かのバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)のオルガニストでもある方だ。この方が人脈を総動員して開講するので、ちょっと驚くようなメンバーでの講座となる。
 今年のテーマは「オルガンの時代」。その第1回「オルガン・オブリガートの愉しみ」が11日にあった。西村尚也リサイタルと近すぎるな、と思ったのだが、テーマの面白さとメンバーの豪華さに、心の中で「これはコンサートではなく、レクチャーなのだ」と言い訳しながら切符を買った。大学が全面的にバックアップしているので、これがまた非常に安い。
 東北学院大学は音楽に関する学部・学科を持っていないが、キリスト教系の大学で、毎日礼拝があるため、専属のオルガニスト(教授職)がいるのである。本部がある土樋(つちとい)キャンパスにはラーハウザー記念礼拝堂というチャペルがあって、大規模なパイプオルガンが備え付けられている上、移動可能なポジティブオルガンが2台もある。私が学生時代は(今も、かな?)、年に2回だったか、国内外の一流のオルガニストを招いて演奏会が開かれていて、なんとそれが無料だったものだから、他大学に在籍していた私もずいぶん楽しませてもらった。
 今回の講師はもちろん今井奈緒子氏である。会の冒頭で、氏はまずこの「時代の音」シリーズの振り返りをした。最初に開かれたのは2009年であるが、途中、東日本大震災とコロナによる中断があったので、今年は12年目、今回が34回目となる。私は、意外なほど聴講回数が少ない。おそらく、今回が7回目だ。
 今回の演奏者には、鈴木秀美(チェロ)、若松夏美(ヴァイオリン)、高田あずみ(通常はヴァイオリニストだと思うが、今回はヴィオラ)、斎藤秀範(トランペット)、上尾直毅(チェンバロ)、三宮正満(オーボエ)などなどがいる。おそらく、バロック音楽演奏家に詳しい人であれば、あっと驚くような人達だ。演奏したのは以下の曲目。

J・S・バッハ 管弦楽組曲第3番(全曲)
    同     カンタータ第35番の第1曲と第2曲
    同     カンタータ第29番(全曲)
    
 今井氏の講義は、イマイチだった。テーマは「オルガン」であり、それは氏の専門のはずなのに、私でも話せるような楽曲の解説が長く、オルガンという楽器の構造・機能や、楽譜と演奏との関係といったことについての話は少しだけだったのである。
 有名な話であるが、バッハはライプツィヒ聖トーマス教会のカントール音楽監督)になってから3年間、礼拝用に新しいカンタータ(声楽組曲)を毎週1曲ずつ作曲している。もちろん、この間に彼が作ったのはカンタータだけではないし、他の教会の音楽も扱い、オルガンを弾き、聖トーマス教会附属学校の教師も兼任していた。だから、この時期のバッハがどれほど多忙だったかは想像を絶するのだが、今井氏はそのことに触れた上で、ぽろりと「でも当時はスマホもパソコンもなかったですからね」と述べた。あぁ、この先生は、スマホやパソコンがあるせいで、私たち現代人の生活が多忙・窮屈になっていると自覚しているのだな、と思い、おかしかった。この日、最も印象に残った部分である。確かに、スマホやパソコンがあったとして、バッハはカンタータを作り続けられただろうか?しかし、スマホやパソコンから逃れられない現代においても、場合によってはそれらを利用して、すごい量の仕事をこなす人というのはいるからなぁ・・・。
 演奏家陣の中では、声楽担当者が器楽担当者に比べると少し弱い感じがしたが、それでもこのメンバーである。古めかしいチャペルの響きや雰囲気もよく、久しぶりのバッハを楽しむことができた。
 最後に、スマホガラケーも持たない私から一言、「今井先生、少なくともスマホは手放してもほとんど不自由なく生きていけますよ」。