改めて国葬に反対する

 育英学園高校の甲子園優勝に関する話を挟んで、再び、現政権のことに戻る。
 今回の世論調査では、「国葬」に関することが問われていなかったようだ。その前の調査の時には、国葬への賛否が問われていたのに、なぜ今回消えたのだろう?既に国葬は実施の準備が進んでいて、海外からの出席者も次々と発表されている段階なので、今更賛否を問題にしても仕方がない、ということなのかも知れない。確かにそうなのである。いくら国葬との関係で支持率が下がったとしても、現時点では対外的にも「やっぱり止めます」とは言えないだろう。
 一方で、国葬をなんとか断念させたいという民間の動きは止まっていない。インターネット署名が始まったし、その前には、幾つかのグループが、国葬の差し止め訴訟を起こしてもいる。あの手この手、私自身はほとんどあきらめつつも、それらの動きを感心しながら、そして、できれば何らかの形で支援したいと思いながら見ている。
 全国的に有名な出来事かどうか分からないので、少し書いておこうと思うのだが、仙台市郡和子市長は、7月11日、仙台市内の全市立学校に対して、安倍元首相の葬儀にあたり半旗を掲揚するよう求めた。市長はかつて、民主党から衆議院議員になった人である。最近、自民党にすり寄る傾向が見られるとしてたびたび話題になる。それにしても、半旗掲揚事件はお粗末であった。マスコミによる追求に対して、市長は「憲政史上最長の在任期間で、東日本大震災からの復興にも尽力した首相であるから、弔意を表すための半旗掲揚は当然だ」というような回答を繰り返している。
 この件については、8月13日の河北新報社説がよく書けていた。「法に照らした是非を問う疑義に対し、弔意という『情緒』を持ち出して市の対応を正当化しようとするのは筋違いと言わざるを得ない」。ここで言う「法」とは、主に「学校は特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育その他政治活動をしてはならない」と定める教育基本法を指す。冷静、的確な、いやいやごく当たり前の指摘である。
 私には、自分にとって大切な人は、他の人にとっても大切であるはずだ、という非常に狭い了見があるように見える。と、ここで思い出すのは、最初に「国葬だ」という話が出てきたときの茂木自民党幹事長の発言である。国葬に疑義を示した野党について、氏は「国民の認識とはかなりずれているのではないか」と言ったあの発言だ。これがまったくの的外れ、その後の世論調査で、国葬に反対する人が半分もいることが分かり、ずれているのは茂木氏の側であることがはっきりしたのだが、それは「ずれている」というよりは、自分の身内しか見えていないということであっただろう。正に自分にとって大切な人は、他の人にとっても大切であるはずだと思い、安倍元首相のことを大切だと思えない人や気持ちをまったく想定できない。完全に閉ざされた世界で生きている人達だ。その茂木氏は、自民党の幹事長に留任した。

 国会召集に応じないこともひと繋がりの話である。国会を開いて、違う立場の人の話なんか聞くのはまっぴらごめん、ということだ。
 国葬に投ぜられる国費だって膨大だし、それがあまりにも大きな額で、国民の反感を買いそうだからと、東京オリンピックの時と同じように、経費を小さく見せるためのごまかしも行われるはずだ。
 国民が賢くなって、そんな人達が国会議員になることのないようにするのが究極の解決方法なのだが、それは簡単ではない。であれば、まずは国葬をなんとかして止める。止められないまでも、断固として反対している人間がたくさんいることを自民党の人々や仙台市長に分からせ、彼らが陶酔できない状況を作る。どうしてもそれが必要だ。


補足)上野千鶴子内田樹落合恵子田中優子佐高信といった人々が呼びかけ人となって、change.orgで、国葬の中止を求めるインターネット署名をしている。ぜひ参加を!!