我が家の不味いカボチャ

 今日、今年初めて我が家の庭でカボチャを収穫し、ジャガイモの代わりにカボチャを入れたシチューを作った。残念ながら美味しくはないが、それでも気分がひと味違う。
 美味しくないのも仕方がない。理由は二つある。丹精込めて作ったカボチャではなく、生ゴミを放り込む穴から勝手に生えてきたものを、少し移して植えたというだけのものだからだ。全く手はかけていない。勝手に延びて、勝手に花が咲き、勝手に成った。もう一つの理由は、熟すのを待ちきれずに取ってしまったからだ。私が早く食べたくて、感情的に待ちきれなかった、というのではない。実の成っている蔓が枯れてきてしまったので、根はちゃんと生えているのかな?と確認したら、蔓が途中で切れてしまっていて、根とつながっていないことが分かった。これは放置するとそのまま腐ってしまうと思ったので、あわてて収穫した、というわけだ。切ってみれば、実の色も少し浅いし、水分が切り口からしみ出てくる。
 ほどほどの大きさの実が、あと3つ成っている。それらも、蔓が既に枯れかけているが、一応、根の部分とはつながっているようなので、もう少し様子を見ようと思っているところ。
 もう少しオマケを書いておこう。
 我が家では、ウッドデッキの前に掘った横1m、縦50㎝、深さ40㎝くらいの穴に、生ゴミを放り込む。どんなに水切りをしても、相当量の水分を含むと思しき生ゴミを「燃えるゴミ」として出してしまえば、石油を混ぜて燃やさざるを得ないに違いなく、それはとりもなおさず環境破壊になるからだ。残飯(食べ残し)などというものは皆無と言ってよいが、我が家で出る生ゴミの量は相当なものである。このやり方を始めた時には、あっという間に穴が一杯になって、後から後から新しい穴を掘らなければならないと思っていた。ところが、本当に魔法!!いくら入れても穴は一杯にならない。スイカの皮とか、トウモロコシの芯とか、体積としては相当量が一度に出ることも少なくないのに、である。
自然の力によってすさまじい速さで分解されているのだろうと思うが、だからこそ、なおのこと、その中からカボチャだけは確実に芽を出してくるのが驚異なのである。
 雑草取りをするのにカボチャの蔓が邪魔なので、伸びてくると、いつも早めに抜いてしまおうと思うのである。ところが、面倒に思って後回しにしているうちに花が咲く。このカボチャの花というのが本当に美しい。この世で最も美しい黄色なのではないか、と思うほどだ。これを抜いてしまうのはもったいない、とか言いながら愛でているうちに、なんとなくタイミングを失してしまう。
 何も手をかけなくてもカボチャが成るならけっこうなものではないか、いかに除草の邪魔になるとは言え、わざわざ抜く必要もあるまい、と言う人は多いだろう。ところが、毎年必ず我が家のカボチャは不味いのである。肥料を与えないだけではなく、土が悪い。
 我が家は、地盤強固で有名な日和山という所に建っている。おかげで、私が住むようになってからだけでも多分4回以上あった震度5を越える地震でも、被害らしい被害がなかった。東日本大震災の時に、食器の一個も壊れなかったというのは驚嘆に値するが、その地盤強固の正体は、かちんかちんの粘土層だ。人間は本来自給自足でなければならないと考えている私としては、小さな家庭菜園でいいから、まずは畑を作ろうと、そのかちんかちんを掘り起こし、やっとのことで1.5mか2m四方の、猫の額ほどの畑を作ったのだが、そこに入れた土は、我が家の庭でかき集めた表土である。土作りのノウハウもなく、時々、生ゴミ穴の中身を混ぜ込む程度のことをしているくらいでは、土はよくならない。その結果の不味いカボチャである。
  農家の方は偉い。なんだか、そのことを確認するためにカボチャの成長を見守り、不味いカボチャを我慢して食べている感じがする。