すばらしき日曜日

 朝起きたら、素晴らしい秋晴れが広がっていた。あぁ、こういう日は山にでも行きたいなぁ、と思ったのだが、何しろできるだけ石油を使わない生活、である。泉が岳にしても、禿岳にしても、たいていの山は車でしか行けないので、私にとっては対象外である。しかも、前日から心づもりをしていたわけではなく、日が昇ってから目を覚ましたわけだから、面白山に電車で行く、という手も使えない。
 大丈夫。山は高きを以て貴しとなさず。里山でもいいのである。私は、自宅から歩いて女川を目指すことにした。約20㎞。山道を含むし、1リットルほどの水、財布やマスクも持たなくてはならないが、多少のRunも加えれば、2時間半か3時間で着くと思われた。ちょうど8時に家を出た。
 陸前稲井の駅を過ぎ、田んぼの中の1本道を突っ切って、真野という所に入ると、絵に描いたような日本の田舎が広がっている。すっかり実った刈り取り前の稲穂から、甘みを帯びた稲の濃厚な匂いが漂ってくる。柿の実がまだ色づいていないのが残念だ。それがあれば、原田泰治の世界になるのに・・・。
 雲一つない、本当に素晴らしい天気だが、それが仇となって日射しが強く、暑い。しかし、日向(ひなた)という小集落を過ぎて林道に入ると、うっそうとした杉林の中になる。どんどん奥へと歩いて行き、突然行き止まりになった所で、道を間違えたことに気が付いた。道というよりも、谷筋を間違えたのである。女川まで歩くのは震災後初めてだから、12~3年ぶりだが、それ以前は部活(石巻高校のワンダーフォーゲル部)も含めて、毎年1~2回歩いていた領域なので、高をくくって地図を持たずに行ったのが失敗だった。
 引き返すのは面倒だし、およその地形は分かっているので、送電線管理用の山道を利用して、安野平(あんのだいら)に抜けようと思った。一度は真逆の方向に歩いてしまったが、100mほど歩いたところで気が付き、引き返すと、やがて高いアンテナの立つ日向山の頂上に出た。「←雄勝峠」という看板があったので、それに従って行くと、間もなく安野平の峠に出た。ここからは、舗装道路をひたすら女川に向かって下るだけである。が、これが意外に長かった。やはり、記憶が非常に曖昧なのだ。日蕨(ひわらび)の人家が見えた時には、少し嬉しかった。
 昔の清水町は、まったく新しい町になっていた。山の上の体育館前にあった陸上競技場が、災害公営住宅用地になってしまったため、陸上競技場をこちらに移転させたらしい。一見、とても美しく整備された町並みだが、震災復興+原発城下町であることによる力尽くの事業だ。そこに「魂」はあるのかどうか・・・私は知らない。だが、町にとって本当に大切なのはその点だ。
 10:45に女川駅着。着いてから、駅には温泉施設があることを思い出した。石巻行きの列車が11:08だったし、着替えも持っていなかったので、駅前のショッピングストリートをざーっと眺めて終わってしまったが、ナップザックに着替えを入れて来るのも手だな、と思った。同行者がいれば、「三秀」でビールを飲みながら焼肉飯、その後温泉に入ってから列車に乗るのもいいな。
 石巻線女川駅から乗るのも、震災後は初めてだ。今年3月のダイヤ改正で、石巻線の昼間の列車は単行運転(1輌だけ)になったのは知っていたが、実際、今日の11:08初も単行運転だった。女川駅を出る時点で、15人以上乗っていた。浦宿、沢田ではほとんど乗ってこなかったが、万石浦で数人、渡波では20人以上が乗ってきて、そこそこの賑わいであった。浦宿~沢田で見える万石浦は、キラキラと光って美しい。
 自宅に着いたのは11:55。朝早くもない時間に家を出て、歩いて女川まで行き、午前中のうちに家に戻れるというのは不思議な気分だ。疲労感が実にほどよく心地よい。今日、かかった費用は使い古しのペットボトルの水に溶かしたスポーツドリンクの粉代約50円と、JR運賃330円、合計400円弱なり。
 そう言えば、昔、母親が買っていた雑誌『暮しの手帖』に「すばらしき日曜日」という欄があった。読者による投稿だったと思うが、実に他愛もない日曜日の描写に、ささやかではあるが満ち足りた幸せが感じられて私は好きだった。いい時間の使い方をしたな、と思った時に、よくそのことを思い出す。