「還暦」考(1)

 今日は私の誕生日。なんと「還暦」である。紆余曲折ありながらも、なんとかこの歳まで人並みの社会生活ができているのはありがたいと思いつつ、この10年ほど、歳を取るのはなんとなく愉快でない。それに従って心身が衰えるだけでなく、社会的制約も大きくなってくる。・・・というのを特に実感したのは「南極落選」だ(→それに関する記事=長い顛末はこの記事からさかのぼって下さい)。
 数ヶ月前、台湾の友人とメールのやり取りをした。あわよくば台湾で再就職という魂胆もあったため、自分の年齢のことに触れようと思い、「還暦」という言葉を打とうとしたら、中国語入力ソフトの語彙候補の中に「還暦」が見当たらない。「還暦」って中国語では使わないんだっけ?という驚きとも疑念ともつかぬ思いが兆した。疑念を払拭すべく、あわてて『岩波 日中辞典』を引いてみると、なんと「花甲」と書いてあって、「還暦」という語は書かれていない。例文は「慶祝六十花甲(還暦を祝う)」だ。確認のために『中日大辞典』を引いてみたが、やはり「還暦」という単語は見付けられない。
 なんとなく気になるので、今度は『大漢和辞典』を引いてみる。すると載っていて、「再びその生年の干支にたちもどる。六十一歳をいふ。華甲。周甲。華甲子。」とだけ書かれていて、出典が書かれていない。『大漢和辞典』で出典が書かれていないというのは珍しいことである。出典が書かれていないから、いつ頃からあった言葉なのか分からない。
 『日中辞典』の記述に従い『中日大辞典』で「花甲」を引くと、「六十花甲子」を見よとした上で、「還暦。満60歳をいう」と書いてある。更に「六十花甲子」を引くと、「花甲」のことだと書いてある。堂々めぐりだ。仕方がないので、ここからは自分で考える。(60歳と61歳が出てくるのは、年齢を「満」で考えるか、「かぞえ」で考えるかによる。)
 中国語で、「花」という漢字には実にたくさんの意味があるのだが、「六十花甲子」という文における「花」は「費やす」の意味であろう。現在、中国語では「お金を使う」と言う時の「使う」に「花」という漢字を使う。それと同様だ。すると「六十花甲子」は「60年で甲子=干支を使い果たす」というような意味になるのではないか。
 言うまでもなく、古来、日本でも中国でも、元号による年代表記とともに、十干十二支の組み合わせによって年を表してきた。十干とは「甲乙丙丁戊癸庚辛壬己」、十二支とは「子丑寅卯辰巳馬未申酉戌亥」である。甲子、乙丑、丙寅・・・と己酉まで行くと、十干がなくなるので甲に戻って甲戌、乙亥・・・と続く。10と12の最小公倍数は60だから、61年目には甲子に戻る。
 「甲子」と言えば、阪神甲子園球場が完成した大正13年(1924年)が「甲子」の年だったから甲子園球場命名されたのは、とても有名な話である。他にも、辛亥革命、戊戌政変、甲午農民戦争壬申の乱など、中国、朝鮮、日本における重大事件は、発生の年の干支によって命名されたものが多い。
 それにしても、例えば丁丑と戊戌が何年ずれているかなんて、私にはすぐには分からない。それが分かったであろう昔の人はすごいな、と思う。だが、数字というものも大昔から存在していたのに、なぜこんな面倒な年表記が使われたのだろう。おそらく、理由は二つある。
 一つは、西暦という物差しがなかった時代、ころころ変わる元号よりは、60年スケールで循環する干支の方が、長い時間の把握がしやすかったのだろう、ということだ。そしてもう一つは、たいていの人の人生が60年以下だったため、自分の人生の範囲を考えるには干支で十分だった、ということだ。時間を長いスケールで把握するためと、短い範囲さえ把握できればよいと考えるため。一見相反する理由だが、使われる場面によって、どちらも真実だったのではないか。もちろん、現在においては年を干支で表すことには何のメリットもない。(続く)