早川純のバンドネオン

 遊び歩いているような話ばかりで恐縮である。
 日曜日、例によって牧山に走りに行ったら、下山路で比較的親しい某大学教授U先生と会った。U先生は、やはり山道でばったり会ったご婦人3人組と、楽しそうにお話の最中であった。U先生には、先週の日曜日、女川から戻った後、「すごく気持ちいいから、そのうち女川まで一緒に走って、駅前の『三秀』で焼肉飯食べながらビール飲みましょうね」と声をかけてあった。先生が「女川まではきついなぁ」みたいなことをおっしゃるので、私は「やっぱり汗かいてビールですよ」と返した。
 そんな前置きがあった上での牧山。M先生は、「平居さん、今からビールどう?」とおっしゃる。いくら私でも、昼食時から酒を飲む機会など滅多にないのであるが、この日も、いい天気の下で気持ちよく走ったし、ま、いいか、と思って、一緒に行くことにした。行ったのは石巻駅前の中華料理屋である。いやぁ、昼間のビール美味い!瓶を2本と紹興酒の小瓶を1本空けた上で、日曜日だけ昼間から開けているという向かいのショットバーで、2次会までしてしまった。今週もご機嫌な日曜日。
 さて、先月末から今月にかけては、私にとって今年最大の音楽月間。昨日は、ラ・ストラーダというライブハウスに、早川純のバンドネオンを聴きに行っていた。1週間の間にバンドネオンを2回というのは、もちろん初めて。ラ・ストラーダとしては珍しく(なのかな?)、満席である。とは言え、20人。
 私はよく知らない人だったのだが、調べてみると、なかなかの人である。芸大の楽理科を出ていて、編曲も作曲もかなり得意とするようだ。チラシの写真を見ると、大きなバイクにもたれかかった、そり込みを入れているようにも見えるツーブロックの、少し異様な感じのおじさんなのだが、実際に見てみると、ごく普通の、ひどく良識的で善良な社会人といった感じだった。髪型もごく普通。42歳らしい。
 アルゼンチンタンゴのスタンダードナンバーである「エル・チョクロ」に始まり、タンゴの名曲やら、日本の歌やら、自作やら、いろいろな曲を演奏した。彼の編曲は、ゴテゴテした感じで、必ずしも好きではないが、何と言っても、我が家のリビングのせいぜい2倍くらいの狭い会場である。バンドネオンの音そのものの迫力に圧倒される思いがした。
 「エル・チョクロ」の直後、バンドネオンという楽器についての説明があった。昨夜、わざわざ聴きに行った人達の中に、バンドネオンの何たるかを知らない人がいたとは思えないが、地方公演での「お約束」なのであろう。
 早川氏は、ドイツで生まれたこの楽器は、踊りの時だけではなく、パイプオルガンを持っていないような田舎の小さな教会で賛美歌を歌うときの伴奏にも使われたようだ、と語り、賛美歌を1曲演奏した。これがなかなかよかった。アルゼンチンタンゴの対極にあるような、リズムがぼんやりとした賛美歌がバンドネオンに似合っているというのは意外だった。
 1時間半あまりの演奏会を、自作の「『ミ』の律動」で締めた後、アンコールが2曲演奏された。「(曲名忘れた)」と「ラ・クンパルシータ」。「ラ・クンパルシータ」の早川バージョンも、編曲の仕方としては決して好きにはなれないが、あのザッ、ザッという強烈な刻むリズムが快感だった。演奏された曲全て、それなりにいいとは思って聴いていたのだが、バンドネオンはやはりタンゴのリズムを刻んでこそ本領発揮。つくづくそんなことを感じさせられた。

 

(記録として、演奏された曲を書いておく。全部思い出せるかどうか・・・?)
「エル・チョクロ」、「賛美歌(曲名言わなかった)」、「失われた時のワルツ」、「ヌエボ・デ・フリオ」、「エル・ディア(この後失念)」、「思いの届く日」、「グランタンゴ」、「小さい秋みつけた」、「風の通り道(となりのトトロより)」、「パロミータ・ブランコ」、「ロス・マレマドス」、「プレリュード」、「『ミ』の律動」、そして上述のアンコール。