只見線の壁

 今月の1日、JR只見線が復旧、全線で運転を再開した。小学校時代から「乗り鉄」傾向が強かった私は、一度、この山間を走るローカル線に乗りたいと思いながら、よくは憶えていない様々な事情で、行くことができないままに50年近くが経った。
 2011年に、大雨で橋が流され、会津川口~只見が普通となった時には、これをきっかけに廃止かなという思いが頭をよぎった。ところが、まさかの復旧である。いずれまた何かの事故が起きて、やっぱり廃止だ、ということになりかねないから、これをきっかけに「行くぞ只見線」と、鉄道開業150周年、西九州新幹線開業、只見線全線運転再開の記念すべき時刻表10月号をいそいそと買ってきた。
 ところが、なんとびっくり、90億円と11年の歳月をかけてようやく復旧させたのに、今回復旧した会津川口~只見の運行本数は、1日にたった3往復である。会津若松から只見に行こうと思うと、6:08、13:05、17:00に乗るしかない。夜になって景色の見えない列車に乗っても仕方がない、となると、実際には2本だけということだ。昔からこんなにひどかったっけ?と思い、不通になる前の時刻表(2011年3月号)を引っ張り出して見てみると、確かに、当時も5:59、13:10、17:01と、今とほとんど同じ時間の3往復しかない。なるほど、これは正に「復旧」だ。本当に元々こんな使いにくい時刻の列車しか走っていなかったのかな、と更に気になってきた。
 只見線が全線開通したのは、1971年8月のことである。我が家に残る時刻表で、その後最も早い時期のものは、1972年10月号(弘済出版社のコンパス時刻表)だ。なんと表紙の写真は只見線ではないだろうか。撮影地点が書かれていないが、撮影スポットとして有名な第三只見川橋梁を、蒸気機関車に引かれた5両編成の旧型客車が渡っている情景と見える。まわりが紅葉しているので、前年に撮ったものだろう(ただし、只見線には、当時も気動車しか走っていない。臨時列車としてSL+旧客が動いたことがあったのかどうかは不明。また、この写真の撮影地点は、1971年ではなく、1956年に開通した場所である)。
 只見線のページを開いてみると、なんと当時も1日3本だ。会津若松発5:19、12:20、15:17である。加えて、4~11月、すなわち無雪期だけは、14:32発急行「奥只見」なる列車が走っている。夏場なら、どの列車に乗っても最後まで景色が見られるわけで、今よりは少し使いやすいように思う。とはいえ、当時は今以上に、鉄道に乗ること自体を趣味にする人は少なかっただろうし、会津から新潟に行くには磐越西線がある。越後湯沢や十日町を目指す人がそうそういたとは思えない。だったらどんな人が乗ることを想定してこの路線は引かれたの?という思いがますます強くなってくる。
 安直にWikipediaで調べてみれば、只見線は元々ダム建設や珪石運搬という貨物用の路線として生まれたようだ。しかし、それは難工事を行ってあえて路線を引いた説明にはなっても、ダイヤ設定の理由を説明することにはならない。なんとも得体の知れない路線である。なるほど、過去50年近く、私が挫折を繰り返してきたわけだ。
 小出に抜けた後の接続も含めて、石巻から1泊2日で、新幹線を利用せずに只見線に「乗り鉄旅」をするのは難しい。時刻表のページを繰り返しめくりながら、恨めしい思いを募らせていた。そうしたところ、昨日の「文春オンライン」に、葉上太郎という人による「11年7月の豪雨水害からJR『只見線』が運転再開。しかし『これでは乗れない』・・・幕末から歴史に彩られた秘境路線は、また苦境に陥ってしまうのか」という、タイトルも本文も長い記事が出て、只見線のダイヤの問題点を、実に丁寧かつ詳細に論じていた。私が論じる余地などないほどだ。納得と共感をもって読んだ。
 鉄道に乗って旅行していると、沿線でカメラを構えている人をよく目にする。駅でも同様だ。ところが、自分では鉄道に乗らず、車で移動しては写真だけ撮る、という人が非常に多い。鉄道は面白くて好きなのだが、おそらく、あまりにも不便すぎて旅行の手段にはしにくいのだろう。効率的な旅行だけ考えたら、それは当然のことだ。せめて2時間に1本くらいは走っていないと・・・。
 以前にも書いたとおり(→参考記事)、行政はいまだに車社会を前提に社会設計をしている。道路ばかりが狂ったように整備されていくのである。こんな社会設計をしておいて、みんなが鉄道に乗らない、などと嘆き、「公共交通手段」という言葉を盾に、JRに存続を求めるのは酷であり、身勝手だ。
 今回の復旧にかかった費用の3分の2は、県と沿線自治体が負担した。今後、毎年3億円が見込まれる維持費も、JRではなく、県と沿線自治体の負担だ。観光客が地元に落とすお金が、それに見合ったものであるのかどうかは知らない。ただ、バスでは観光客を呼べないが、鉄道なら呼べる。鉄道には、他の地域と結びついていることを示す強烈な象徴性もある。そう考えれば、自治体が営業を支援することには一定の合理性がある。
 それにしても、このダイヤでは、行きたくても容易には行けない。只見線の前に立ちはだかる壁は高い。