コロナの余波と北泉が岳

 北泉が岳(1253m)に行ってきた。本当に久しぶりで、登山の新人大会に補助員として参加したのである。「本当に久しぶりで」というのは、もちろんコロナの余波。
 「密」になるからテント泊がダメだ、飲食がダメだということで、高校の登山部も、軒並み活動の縮小、或いは実質的な休止を余儀なくされるようになった。以前は2泊3日で行われてきた大会も、当初は中止。その後再開はしたものの、宿泊はせず、日帰り行動を3日間繰り返す、しかも、蔵王栗駒山に3往復するわけには行かないので、仙台市郊外の里山お茶を濁す、筆記試験は学校の教室、ということになってしまった。
 私は、登山部のない学校にいて顧問をしてはいなくても、大会(総体と新人大会)の時には呼ばれて、多少の手伝いをするとともに、顧問諸氏との旧交を温め合ってきた。ところが、大会の規模縮小とともに出番がなくなり、行くことがなくなっていた。それが今回、宿泊こそしないものの、久しぶりでお呼びがかかったのである。
 金曜日、私は顧問OBと、仙台駅前の居酒屋で前夜祭(通称:お天気祭)をやって、そのまま仙台に泊まった。その甲斐あってか、3日くらい前の天気予報では、あまり思わしくない天気になりそうだった上、昨日はひときわ寒くて(仙台の最高気温12.4℃)雨降りだったにもかかわらず、今日は絶好の登山日和になった。1日ずれていたらと思うと、ぞっとする。
 仙台駅東口からバスに乗り、泉が岳の登山口に着いたのが8:50。9:15に歩き始めて、11:50に北泉が岳の山頂に着いた。歩き始めた時は暑いくらいで、日射しも強く、ウールの厚手のカッターシャツを着てきたことを後悔したほどだったが、空気も乾いているし、休憩のために止まるとすぐに肌寒さを感じるようになる。北泉が岳の山頂では、着くとすぐにウィンドブレーカー(レインウェアの上)を着たくらいである。厚手のシャツは正解だった。
 今日の私は女子の救護係。体調不良を訴え、場合によってはエスケープルートを下山するといった生徒を救護する係だ。ところが、天気に恵まれたせいもあって、誰一人具合が悪くならなかったものだから、結局、山を歩きに行っただけで、仕事はしていない。まぁ、消防や警察だって、仕事はない方がいいわけだから、それと同じ。
 山の高さがさほどでないこともあって、まだ紅葉には早かったけれど、本当に気持ちのよい秋山歩きを堪能することができた。旧知の顧問と、歩きながらいろいろな話をするのも楽しい。
 一方、2年半ほど参加しないうちに、知らない顧問の顔も増えていた。現役顧問である馴染みの某氏に、「知らない人がけっこういるね」と言ったら、「そうなんですよ。だけど、以前のように顧問の宴会も開けないもんですから、ただ事務的な会話をするだけで、仲良くなるということはないですね。僕たちも実は新しい人のことよく知らないんです」と言う。
 仕事の付き合いなのだから、ことさらに仲良くなる必要などないではないか、仕事についての会話さえできればそれでいいではないか、と人は言うかも知れない。だが、違うのだ。あるいは、普通の仕事はそうかも知れないが、登山部という特殊な世界はそうではないのだ。他の部活よりは危険にさらされる機会が多いし、寝食を共にしながら、濃密な人間関係があってこそ、チームワークが可能になるということがどうしてもある。
 困ったものである。生徒だって、せっかく登山部に入っていながら、テント泊を経験することもなく、そもそも、山で夜を過ごすことがない。私たち、以前から山をやっている人間としては、山なんて「夜を過ごしてなんぼ」の世界である。山の中にテントを張って火を焚き、静かな夜を語り合うことを抜きにして、山の魅力など存在しないのではないか、と思うほどだ。
 日頃の学校生活でも感じる場面は多いのだが、感染症予防の弊害はあまりにも大きすぎる。私が以前から口を酸っぱくして言うとおり、人間が健全に成長できず、人間関係がますます「疎」になり、バラバラになっていくことは危険である。これが、せめて年代を問わず致死率が数%を上回るような深刻な感染症ならまだしも、今のコロナなんて、風邪と変わらない些細な病気である。経済に与えるダメージはすぐに分かり、膨大なお金を投じて救済を図ろうとするのに、人間そのもの、人間の心や感覚に与えるダメージには無頓着。これが政治家に映った国民の姿だ。マスクも含めて、本当にコロナ対策一刻も早く止めた方がいいと思うよ。