歩いて読響・・・角野編

 今春に勤務先が変わってから、自転車通勤をしていたのだが、なにしろたった15分。運動量としては少なすぎる。実際、少し体重も増えぎみだったので、1ヶ月ほど前から自転車を止め、せっせと歩いている。と言うわけで、前回は「自転車で都響」(→こちら)だったのが、今回は「歩いて読響」(笑)。自転車だと20分あまりだが、歩くと55分かかった。
 何を言っているかというと、今日は、昨年石巻に完成した総合文化施設・マキアートテラスに、読売日本交響楽団創立60周年記念の演奏を聴きに行った、ということである。登場したのは、なんと82歳になったマエストロ小林研一郎と、今最も話題になることの多いピアニスト角野隼斗(すみのはやと)である。昨日(盛岡)から明日(いわき)にかけて行われる東北ツアーの中日。
 さて、今日の演奏会。チケットは、数日前に完売となって満席。曲目は、前半がラフマニノフのピアノ協奏曲第2番、後半がチャイコフスキー交響曲第5番であった。
 ラフマニノフの2番は、今年2月に同じマキアートにおける都響の演奏会で、小曽根真の独奏で聴いたばかりであった。奇しくも今朝の毎日新聞に角野に関する3分の2面に及ぶ大きな特集記事が載っていた。見出しに「軽やかに越える音楽の垣根」とある通り、ジャンルを超えた幅広い音楽活動を展開していることが彼の「売り」だ。
 しかし、あの小曽根真でさえ、ラフマニノフを小曽根流にアレンジしながら弾くことはできなかった(上のリンク記事参照)。完成されすぎた曲というのはそういうものである。角野隼人は、ものすごくたっぷりとピアノを響かせ、技術的にもほころびがない。おそらくいろいろやってみたいことはあったのだろうが、奇を衒うことも、冒険をすることもなく、ラフマニノフラフマニノフとしてしっかりと聞かせてくれた。それはそれでよい、もしくは、仕方ないことだと思う。そこに角野という人間があふれていると実感できなかったことは少し残念であったが、そういう曲だったのだ。
 終わった瞬間、なんと1割くらいの聴衆が立ち上がり、珍しいスタンディング・オベーションとなった。ステージに呼び出されること2回。角野はおもむろにピアノを弾き始めた。私は、アンコールがあるとすれば、自作自演がいいなと思って期待していたのだが、始まったのは「キラキラ星」だ。客席から笑いが漏れる。「なんだ、キラキラ星か」という思いが垣間見える笑いだ。しかし、間もなく、それはモーツァルトの「キラキラ星変奏曲」だと分かる。そしてすぐに曲は変化を始めた。後は正真正銘の角野ワールドだ。おそらくわざと行っているであろう、妙に中途半端な感じの、浮遊感漂う和声に基づく変奏から、ジャズ的なフレーズへと移行し、再びクラシック調へと戻る。正に変幻自在、といった感じだ。う~ん、やっぱりこの人は、正統なクラシックの名曲ではなく、彼自身の作曲、編曲を聴いた方が面白そうだ。最初に笑った聴衆も、その後は口をあんぐり開けて聴き入ったに違いない。すごい!演奏が終わった時、スタンディングオベーションは2割に増えた。
 話はチャイコフスキー交響曲演奏後に飛ぶ。
 盛大な拍手によって小林研一郎氏が、2回目、ステージに呼び出された時、手にはマイクが握られていた。例の菅原洋一風の柔らかい声で、「少し凝ったアンコールを用意しました。角野君に再び出てもらいます。」と言うと、ステージ右側からピアノが、左側から角野隼人が登場。聴衆は大喜びだ。小林が「ダニー・ボーイを演奏します」と言い、角野に合図をすると、角野が静かに「ダニー・ボーイ」を演奏し始める。それを前奏として、オーケストラが入る。
 終わると、また小林が多少の話をした後、今度は角野に「角野君、『赤とんぼ』弾いてくれない?」と声をかける。私が見た感じ、これは事前の打ち合わせなし、まったく小林の思いつきだったのではないだろうか?もちろん、「赤とんぼ」を弾くのに困るわけがない。角野は少し当惑した顔をしつつも、「赤とんぼ」もしくは「赤とんぼ変奏曲」とでもいうような曲を演奏した。「キラキラ星変奏曲」のような技巧的なアレンジではなく、「ダニ・ボーイ」と違ってオーケストラは最後まで動かない。浮遊感のある和音も、ジャズ風のフレーズもなく、澄んだ音で静かに正統の「赤とんぼ」が演奏された。実に美しい。
 終わると今度は5割近い聴衆がスタンディング・オベーション。後半のプログラムについてはまた明日。とにかく、角野を中心とした面白い演奏会だった。