歩いて読響・・・小林編

 小林研一郎(コバケン)は、私が大学時代(1980年代)、5年にわたって宮城フィル(現仙台フィル)の首席客演指揮者を務めていたこともあって、比較的多く聴く機会があった。今回、少し気になったので調べてみたら、なんと11回も聴いている。今回が12回目、ということである。しかも「初コバケン」は、今回と同じ読響だ(1981年)。当時、仙台におけるコバケンの人気は圧倒的で、私のまわりにも、毎年7月頃に行われる宮城フィルのコバケン演奏会を楽しみにしている人は多かった。ご多分に漏れず、私も熱狂的な支持者の1人だった。しかし、2001年の日本フィル・仙台演奏会を最後に、なぜか仙台では聴く機会がなくなり、私はそのことを非常に残念に思っていた。
(注:1980年代のコバケン演奏会については、友人が書いている記事をご参照願いたい。リアルタイムではなく、後から書かれたものだが、描写が詳しく、私の作文より当時の雰囲気をよく伝えている。→「Kenichi Yamagishi」で検索すると、彼のHPが一番上に出る。そこから「演奏会評」→「仙台での演奏会」→「宮城フィルハーモニー管弦楽団のコンサート」と進む。)
 小林研一郎については、かつて一文を書いたことがある(→こちら)。よく「炎のコバケン」と言われるが、本人が力を込めれば熱演が生まれる、というわけではない、優れた音楽的能力をベースに、人柄や生き方を含めて、それがオーケストラのメンバーを動かすのだろうというような感慨を述べたものだ。
 小林研一郎という人は、得意とするレパートリーを執拗に繰り返し演奏してきた人だと言われる。安直にWikipediaを見てみると、それは、チャイコフスキーの第5番、ベルリオーズ幻想交響曲、ベートーベンの第7番、マーラーの第5番だと書かれている。ちなみに、アンコールの定番は「ダニー・ボーイ」だとも。
 確かに、私の過去11回のコバケン体験を見てみても、チャイコフスキーの5番とベルリオーズ幻想交響曲が各2回、ベートーベンの7番とマーラーの5番が各1回あった。これら以外では、ブラームスの1番、メンデルスゾーンの3番、ドボルザーク第8番、そして、今までのところ私の人生でただ1度のサン・サーンス第3番といったところである。特殊なものとしては、ガーシュウィンの生誕100周年演奏会(1998年)=オール・ガーシュイン・プログラムというのがあった。リストのピアノ協奏曲第1番が3回というのは、果たして偶然なのかどうか・・・?残念ながらアンコールはほとんど記録も記憶もない。おそらく「ダニー・ボーイ」はなかったと思う。1988年1月のハンガリー国立交響楽団演奏会の際のベルリオーズハンガリー行進曲(ラコッツィ)」だけが、非常に印象強烈で記憶鮮明だ。
 と言うわけで、昨日、チャイコフスキーの第5番と「ダニー・ボーイ」が演奏されたというのは、いかにもザ・コバケン演奏会だったということである。
 21年ぶりで見た小林研一郎は、白髪にこそなったものの、驚くほど元気で、変わっていなかった。この方は、仙台フィルの現在の最高位=常任指揮者である飯守泰次郎と同い年である。飯森氏が、指揮台にたどり着くのさえ危うく、本当に今年度一杯の任期を満了できるのかな、と思うほどよぼよぼであること(→参考記事)との対比はあまりにも鮮やかだ。老化の個人差がいかに残酷なものであるか、ということを感じさせられる。足を開いて膝を大きく曲げたバッタのような姿勢で、大きく全身で指揮をする。違ったのは、演奏終了後、拍手で呼び出された時に走って出て来なかったことくらいかな、と思うが、それとて、楽員の座っていた場所の関係で通路が狭かったから、というだけかも知れない。
 チャイコフスキーの第5番は、正真正銘の熱演だった。私が、6人いるコントラバス奏者の対角線に座っていたからかも知れないが、驚くほど低音が分厚く、特に第1楽章はねっとりと濃厚な音楽だった。録音は持っていないし、35年前の彼の演奏の特徴を憶えていたりはしないので、表現が変わったかどうか、それが「コバケン円熟の境地」なのかどうかは分からない。会場の狭さ(1200人)もあって、オーケストラはとてもよく鳴っていると聞こえる。第4楽章、フィナーレの迫力は圧倒的だった。角野=ラフマニノフ以上のスタンディングオベーションになったことが十分によく分かる。
 コバケンが82歳と聞き、今回の演奏会が生でコバケンを見られる最後の機会になるだろうな、と思っていた。しかし、実際にその演奏に接してみて、日本のブロムシュテッド(95歳・現役)になるのではなかろうか、だとしたら、また聴く機会があるかも知れない、と思うようになった。そんな機会があると・・・いいなぁ。
 終演後、よく音楽談義をする某大学名誉教授と会場で会い、石巻駅前に出て酒を飲んだ。幸せな1日だった。