志賀直哉の「逆接」

 志賀直哉(1883~1971年)、特に「城の崎にて」について思うところを書く(おそらく2回連載)。「論」というほどのものではない。授業に関わる、いわば実務的なことである。
 志賀直哉は決して評価の低い作家ではない。なにより、死後半世紀を経て、いまだにいくつかの作品が教科書に生き残っていることが、彼に対する高い評価を物語っている。生前にも、夏目漱石から自分の後を継いで朝日新聞に連載小説を書くよう依頼されているし(実質的な後継指名)、日本ペンクラブの会長も務め、文化勲章も受章した。小林秀雄が非常に高く評価していた作家でもあった。
 私も、若い頃、一つの範として志賀直哉は読んでおいた方がよかろうと思い、岩波の『志賀直哉小説選』全4巻は一通り読んだ。『和解』は数度、『暗夜行路』も2回は繰り返し読んだ記憶がある。しかし、その価値は今ひとつよく分からない。優れた作品だとは思っても、それが古典として生き残るほどのものかどうか、他の作家の作品と比べて、特に優れていると言えるかどうかについて、甚だ確信が持てないのである。
 今、2年生の授業で扱っている「城の崎にて」は、私小説作家・志賀直哉の本領発揮の小説だ。主人公は山手線の電車に跳ねられてけがをし、後養生のために城崎温泉に逗留する。実際、志賀直哉は1913年に山手線に跳ねられ、城の崎温泉に行っている。志賀が泊まった旅館「三木屋」は今も営業している。「城の崎にて」が発表されたのは、城の崎滞在の4年後だ。実際に書かれたのがいつかは分からない。三木屋は、そのHPで「志賀直哉の名作『城の崎にて』はここから生まれました」と、慎重な言い回しをしている。
 「城の崎にて」の主題は非常に明瞭である。その点についての分かりにくさはないのだが、決して読みやすい文章ではない。なにしろ段落が長い。最近の文章は、特に新刊書などを見ていると、段落は短くなる傾向にある。だからこそ、延々1ページを超える段落が連続する「城の崎にて」を、読みにくいと感じるのだろう。また、指示語が多く、しかもその指示内容が決して読み取りやすくはない。
 かつて、私は「『逆接』の働き」という一文を書いた(→こちら)。内容的に正反対のものを結びつける接続詞と一般に言われる逆接は、実は、後を強調することこそ重要な働きだ、ということを主張したものである。「城の崎にて」は、逆接の機能を考えるのに格好の文章だ。例を挙げよう。

(例1)
「いつかはそう(注:自分が死んで、祖父や母と同じ墓に入ること)なる。それがいつか?--今まではそんなことを思って、その「いつか」を知らず知らず遠い先のことにしていた。しかし今は、それが本当にいつか知れないような気がしてきた。」

 「自分」は死というものをまだまだ遠い先のこととして考えていた。「しかし」があることによって、その直後にある「本当にいつか知れない」というのは、単に「自分がいつ死ぬか分からない」という文字通りの意味ではなく、「今すぐに死ぬかも知れない」の意味であることが分かる。
 同様の例をもう一つ挙げよう。

(例2)
「実は自分もそういうふうに(注:自分にはしなければならない仕事があるから死ななかったと)危うかった出来事を感じたかった。そんな気(注:同前)もした。しかし妙に自分の心は静まってしまった。」

 「心は静まってしまった」が、具体的にどうなることなのかが書かれていない。しかし、直前に「しかし」があることで、「そういうふうに感じたかった」と逆であることが分かる。つまり、「心は静まってしまった」とは、「しなければならないことがあるから生き延びたわけではない」と思うようになったこと、である。
 作者の関心は、過去よりも今にあるはずだから、より一層強く言いたいのは、「今すぐ死ぬかも知れない」であり、「自分の心は静まってしまった」である。「しかし」はそれを強調しているというのも間違いではないが、これらの場面に関して言えば、「内容的に正反対のものを結びつける」という逆接の形式的な機能の方が、内容理解の上でより一層大切だと感じられる。

 次はまったく違う例だ。

(例3)
「(注:自分が電車に跳ねられ、医者に担ぎ込まれた後)「フェータル(注:致命的な)な傷かどうか?医者はなんと言っていた?」こうそばにいた友にきいた。「フェータルな傷じゃないそうだ。」こう言われた。こう言われると自分はしかし急に元気づいた。」

 これは、私が逆接に関して最も重要だと考える「強調」機能の見事と言ってよいほどの例である。けがが致命的なものでないと医者に言われたことと、「元気づいた」ことは、非常に自然な因果関係である。それをつなぐ言葉として「しかし」は通常あり得ない。
 「元気づいた」と正反対の内容とは、「電車に跳ねられたことで絶望的な気分になった」である。「絶望的な気分になった、しかし医者に致命傷ではないと言われたことで元気づいた」であれば、文字通りの逆接になる。だが、「絶望的な気分になった」に相当する内容は、いくら遡っても書いていないのである。
 一つの可能性として、「しかし」をここに使うことで、文章中に書かれていない「絶望的な気分になった」を読者に想像させようとしたのではないか、ということがある。だが、やはりそうではない。「自分」は絶望的な気分になったのではなく、生き延びるために必死になった、というのが「しかし」の前の文脈だからだ。けがをした直後の「自分」には、絶望を感じる余裕すらなかったのだ。するとやはり、ここの「しかし」は、「内容的に正反対のものを結びつける」という機能は一切持っておらず、ただただ「後を強調する」ことだけが期待されていると言ってよいだろう。
 通常、「逆接が後を強調する」と言っても、それは「内容的に正反対のものを結びつけ」た上での話である。それを抜きにして、純粋に強調機能だけを持つ逆接はさすがに珍しい。
 志賀直哉が、この特別な使い方をどれだけ意識していたかは、彼の他の作品を読み直して用例探しをしてみないと分からないのだが、少なくとも感覚的には理解していたに違いない。