志賀直哉の「身勝手」

 志賀直哉の「城の崎にて」について2回書く、と書いて、実際に「逆接」「晦渋」と書いたのだが、蛇足ながら3回目を書く。
 「城の崎にて」は、総論的な段落の後に、蜂、ねずみ、いもりといった生き物に関する段落を置き、それぞれのなかで生死の問題を少しずつ違う角度から描いている。ところが、ねずみの段落といもりの段落との間に、「葉」に関する短い段落が挟まっている。
 散歩の途中で見た桑の木の葉だ。たくさん付いているはずの葉の中で、1枚だけが、風もないのにヒラヒラと忙しく動いている。「自分」はそれを不思議に思ったので、木の下でしばらくその葉を見つめていた。次のように続く。

「すると風が吹いてきた。そうしたらその葉は動かなくなった。原因は知れた。何かでこういう場合を自分はもっと知っていたと思った。」

 風もないのに動いていた葉が、風が吹いてきた瞬間に動きを止めた。この不思議な現象を目の当たりにした「自分」は、原因は分かった、と言う。読者もそれを知りたい。しかし、どこをどう読んでもその原因は書かれていない。およその推測をする材料さえない。
 実は、志賀は「続々創作余談」という文章の中で、次のように書いている。

「実は風は吹いていたのだが、人体には感じられないほどの風で、葉はそれで動いていたのだ。そして何故その葉だけが1枚動くかというと、葉柄がまっすぐ風の来る方に向かっていて、最初何かで、葉が一寸動くとあとは振り子のように微かな風に吹かれつつ運動が止まらなくなったのである。それが、人体にも感じられる風が吹いてきて、却って運動が止まったという場合で、こういうことは、私は何回か経験しているので、大概分かるだろうと思って書いたが、そのため、よく質問を受ける。」

 
 一つの刺激を与えられることで動き始めた葉が、人間が感じることが出来いないほど微かな風にも支えられて、半ば惰性で動いていた。しかし、更に強い風が吹くことで、その動きが止められてしまった。なるほど、そういうことなのか、とは思う。しかし、本文は非常に不親切だ。これで読者が分かると思うのは身勝手だ、とさえ思われる。しかも、この解説を読むことで、「原因は知れた」が解決する一方、新しい問題が発生する。
 本文「こういう場合をもっと知っていた」の「こういう場合」とは、文章全体のテーマが「死」である以上、動いていたものが止まること=死としか読めない。そのように理解してこそ、生死をテーマとし、動物の生死を描く中に、動物ではない「葉」の段落を設定したことが、自然なものとして理解できるのである。
 しかし、作者自身の解説によれば、「こういう場合」とは無風の中で動いていた葉が、強めの風によって動きを止められるという、正に書かれたとおりの情景を意味するのであって、死の連想というようなものではないことになる。すると、この段落が設定されている意味も分からない。読者として、それはとても困る。
 自分の心の中にあることを他人はまったく分かっていない。そんな他人に、一体どのような情報をどのような表現で提供すれば、自分の心の中にあることを分かってもらえるのか。そこに文章を書くことの難しさがある。分かりやすい文章が書ける人は、常に第三者の視点で自分の文章が読めるのである。とすれば、その対極にいるのが志賀直哉だと言いたくなる。やはり、いくら主題や全体の雰囲気に多少の魅力があるとは言っても、「城の崎にて」は決して古典になれる文章ではなく、したがって、古くなってなお教科書に載せる価値がある作品ではない。