金子みすゞの娘!?

 先週の土曜日(11月19日)、毎日新聞で上村ふさえという人の訃報を目にした。95歳で亡くなっている。全然知らない名前なのだが、「童謡詩人・金子みすゞの長女」という言葉が目に入った。えっ!?金子みすゞって結婚してたんだっけか?私は軽く驚いた。
 かつて、金子みすゞについて調べたことがあるかどうか記憶が定かでない。私の頭の中では、小説の樋口一葉、詩の金子みすゞというのがイメージとして重なり合っている。金子みすゞの方が30年遅く生まれているが、どちらも明治の女性で、女性の小説作家、詩人として草分けであり、夭折したことも共通する。金子みすゞ樋口一葉と同様、未婚のまま死を迎えたと思っていた。訃報によれば、上村さんが3歳の時、みすゞは死んだそうだ。「金子みすゞに関するさまざまなイベントに参加するなどして、母への思いを語り続けた。」と書かれている。3歳の時に母が死んだとすれば、記憶はないだろう。「母への思い」は正確な表現だ。
 我が家にも『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』(JULA出版局)がある。巻末には金子みすゞの発見者・矢崎節夫氏による解説が付いている。困ったことに、私の誤解の源は、おそらくこの解説だ。そこで矢崎氏は、みすゞの生涯を概説しているが、結婚についても、死のいきさつについても言及がない。
 あわてて、知っているようで知らないこの童謡詩人について、私は「金子みすゞ記念館」のホームページその他で、安直なる調査をしてみた。記念館の記述が簡潔だ。そこには「その生涯は決して明るいものではありませんでした。23歳で結婚したものの、文学に理解のない夫から詩作を禁じられてしまい、さらには病気、離婚と苦しみが続きました。ついには、前夫から最愛の娘を奪われないために自死の道を選び、26歳という若さでこの世を去ってしまいます」と書かれている。夫は義父の経営する書店の従業員だったが、女癖の悪い人で、最初から明るい結婚生活は保証されていなかったように見える。「結婚」というより、「手込めにされた」というに近いのではないか?哀しい人生だ。
 死後約50年間忘れられていたが、童謡詩人の矢崎節夫氏が1960年代半ばに「発見」して調査と顕彰に努め、1980年代には高い評価を得るようになっていたようだ。兼好の死後忘れられていた「徒然草」が、約100年後に正徹によって「発見」され、江戸時代に入ってから大ブレークした経緯とよく似ている。金子みすゞが死んでから92年。私が「古典」になる資格があると考える没後100年(→参考記事)までもう少しだ。
 日曜日に、松山町を往復する列車の中で(→その時の記事)、久しぶりにその詩集を読み直してみたが、とてもいいと思った。視点が多角的で、冷静、しかも素直で温かい。哀しい人生を思うと、なおのこと透明感のある美しい作品に思われてくる。作品が決して多くないが、(だからこそ?)、大切にされていくべき作品のように思われる。上村さんという娘さんが、母の作品を読んでどのようなことを思い、人に語ったのかは知らないが、肉親が読んだ時に、私のような者が読んだ時と違った感慨を感じ得るものなのかどうか、訃報を前にいろいろな想像をしてしまった。
 上村さんもともかく、久しぶりで「金子みすゞ」に接し、感動とともに複雑な思いを抱いた。母娘ふたりに合掌。