市民能楽講座

 昨日は、仙台に能を見に行っていた。昨年来、能に関する話が少し多いのは、上田君という某大学能楽研究会出身の教え子が、せっせと私に能の魅力とか見方とかいうものをご教授くださるからである。
 昨日行ったのは、「第39回市民能楽講座」という、いかにもパブリックで啓蒙的な雰囲気の漂う名称のイベント。仙台市能楽振興協会と仙台市仙台市市民文化事業団が主催なので、実際、公的性格が非常に強く、チケットも安い。
 演目は仕舞「羽衣」(佐藤章雄)、「烏頭」(佐々木多門)、大蔵流狂言「清水」(山本則孝、山本泰太郎)、喜多流・能「融」(佐藤寬泰、村瀬慧、山本泰太郎)。上田師は、事前に「融」の台本と解説を送ってくれた(さすが!)。「講座」というだけあって、仕舞が始まる前に、友枝真也氏による解説はあったが、簡略なものだったので、上田師による資料はありがたかった。
 「融」とは、源融(みなもとのとおる 822~895年)のことである。河原左大臣として百人一首に「陸奥のしのぶもじずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」という歌が載る。嵯峨天皇の子どもという優れた血統の人物である。約5年にわたって陸奥出羽按察使だったため、東北ゆかりの人物として様々な伝承が残っている。百人一首の歌も、赴任の際の経験と関係がある歌とも言われているし(安洞院のHP参照)、私が昨春まで勤務していた塩釜高校西キャンパスは、なんと源融邸の跡地だということになっていた。しかし、天皇の子で、既に中納言の地位にあった人物が、実際に奥州くんだりまで来るはずがない、遥任(代理を派遣し、自分は京に留まること)だったはずだ、という説も強い。京都・六条河原院の私邸には、 千賀の浦(松島湾の塩釜地区部分)を模した庭が作られていたらしいが、それとて、実際に松島湾を見て感動したからなのか、噂に聞いて憧れを抱いたのかは定かでない。
 脚本は、完全に遥任説に基づいて書かれている。もちろん、なにしろ能なので、極端に動作は抑制されていて、能面越しのくぐもった響きの古語も分かりにくい。ただ、上田師の気配りと、塩釜勤務の経験とによって、源融をめぐる話をよく耳にしていたおかげで、私にとって「融」という能は面白かった。以前は、違和感が強かった能の音楽にも慣れて、むしろ響きそのものに快感を感じるようになってきた。囃子方地唄の方々の姿勢正しく、凜とした格調高い居住まいも心地よい。1曲が長いので、お尻が痛くなるのにだけは閉口したが、騒々しく猥雑な現代社会に身を置く人間として、時々こんな空気に浸るのはすっきりと気持ちのいいことだ。
 終演後、上田師と能楽普及のために誘ったH君(上田師の同級生)と3人で、仙台駅前で酒を飲んだ。翌日から1週間が始まるというのに、3時間半にわたってなかなかの勢いで機嫌良く酒を飲み、最終の仙石東北ラインに乗ると、すぐに眠ってしまった。目が覚めた時には既に石巻のひとつ手前、陸前山下駅を出発しかけたところだった。危ない危ない。最終の仙石東北ラインは女川行きなのだ。