月のうさぎ

 机の周りに置いてある新聞記事の切り抜きの中から、少し古いのだけれど、元日の日本経済新聞文化欄にあった庄司大悟筆「月のうさぎいつから餅つき?」に触れておきたい。今年がうさぎ年であることにちなみ、月の表面の模様を、「うさぎが餅つきをしている」姿と見るようになったのはいつからか、という考察を展開している。とても面白い。
 月の模様を「うさぎが餅つき」している姿と見るのは、ごく一般的なものになっているが、確かに、いつ頃からそのようなステレオタイプが定着したのかは分からない。いや、考えてみたことがなかった。そもそも、私はあの月の模様が「うさぎが餅つき」をしているようには見えないので、星座を発明した古代ギリシアの人々とよく似た想像力の豊かさに感心するばかりで、なぜ?とか、いつから?とかいう疑問は思い浮かびようもなかったのだ。なんとなくそんなつもりで眺めているものについて、「なんとなく」存在するわけがない、起源はどうなっているのだろう?と疑問を持つことができるのは偉い。筆者は、日頃からあらゆるものについて感受性を働かせ、「当たり前」を疑いながら主体的、能動的に生活している人に違いない。
 さて、筆者は古文書や古美術品に描かれた図像を手がかりに、5年にわたって考察を重ねた。それによれば、月の表面にうさぎを見るようになった起源は、2500年以上前の古代インドである可能性が高いらしい。飛鳥時代にはそれが日本に持ち込まれたが、その頃のうさぎは餅をついていない。餅をつくようになったのは、江戸時代になってからである。筆者はそれを中国明代の百科事典『三才図会(さんさいずえ)』の影響と見る。ただし、『三才図会』のうさぎは不老不死の仙薬を作っているのだが、日本人にはそれが理解できないので、身近な所によく似た動作を求めた結果、「餅つき」になった。
 臼の形状に関する考察も面白い。日本人が使っていた臼というのは、元々くびれた形をしていたが、その後、側面が直線状の「胴臼」になる。しかし、「月のうさぎ」を描いた画像を見ると、古いものは胴臼で新しいものはくびれがある。先後が逆になっているのだ。筆者は、その理由を、最初のうちは『三才図会』に描かれた胴臼をわけもわからず写していたが、うさぎの動作を「餅つき」と見なした時に、自分たちが餅つきに使っていたくびれた臼に書き換えた、と推測している(ただし、筆者は『三才図会』に描かれた臼を胴臼であるとは述べていない。文章の意味が通じるように考えるとそうなる、ということである。この部分は少し分かりにくい)。なるほど!!
 筆者は、なんとJAXA宇宙科学研究所研究員である。職業との関係、というほどでもないだろうが、月を見ながら疑問を持ち、この研究をスタートさせた。えてして、情緒を排除した怜悧な世界に生きているかのような印象を受ける科学者が、こんな素朴な疑問に基づき、おそらくはわくわくしながら、「うさぎの餅つき」という素朴な謎の解明に努める姿は微笑ましい。
 ところが、文章の最後は、次のように結ばれている。

「こうした月のうさぎに関する研究は、いつか理工学を基にした宇宙開発にもつながるのではないか。ひそかにそんな期待をしている。人類が月面に到着してから、早くも半世紀以上がたった。将来人類が月に住もうとする時、科学の力だけでは解決が難しい部分がきっとあるはずだ。未来社会で伝統的な文化や伝承が、どんな役割を果たせるのか、考えていきたい。」

 う~ん、これはいかにもこじつけめいていて苦しい。「月のうさぎ」の研究が、直接、宇宙開発に役立つ可能性を考える必要などないではないか。今の私にはまったく想像が付かないが、将来、結果として役に立つことがあるなら、それはそれでいい。しかし、最初から考えることではない。JAXAという組織では、常に「役に立つ」ことが求められ、何をする時にも、「それは何の役に立つのか?」という説明が求められていて、筆者の心にはその習慣が染みついているのではないか?考察が面白かっただけに、最後の一段だけは少しもったいない感じがした。(→参考記事=JAXAの見学 旧来型の欲望充足、利益追求主義に辟易したことが書いてある。)