美術は愛であり自分

 今週は、なんと3回も宮城県美術館に行った。水曜日から今日まで、そこで高校生美術展が開かれていて、私は今年、美術部の顧問だからである。コロナ以前なら、搬入・展示作業に生徒が参加できたものを、今は(まだ!)顧問だけで来なさい、というお触れが出ている。すると、生徒が作品を見るチャンスがないので、火曜日の搬入、今日の搬出に加え、昨日、生徒を引率して見に行った、というわけだ。
 3回は面倒にしても、美術展そのものは面白かった。このブログの記事には、アマチュアの音楽を聴きに行ったという記事が少なからずある。それらの中で私は、音楽に対する情熱の強さによって、少々下手でも、アマチュアの音楽が好きだというようなことを何度か書いている。美術もまったく同じだな、と思った。玉石のばらつきは甚だしいのであるが、多くの作品は、途方もない手間暇をかけ、工夫をしながら書いたことが分かるもので、それはその生徒の、「絵が大好きだ」「どうしてもこれを描きたい」という熱意の表れである。それは見る人を動かす。(「美術展」は、正に「美術」の展示会であって、立体作品も多数あったのだが、両方をカバーする書き方をすると煩わしくなるので、「絵」とする。)
 一昨日のBSプレミアムで、農民画家・坂本直行の特集番組を見た(今日の「日曜美術館」も坂本)。1906年生まれで1981年に没した。坂本龍馬の兄のひ孫に当たる。絵は独学だ。元々自然に対する強い関心と愛着があり、北大農学部を出た後、父親との不和もあって、十勝で開拓農家となった。目の前に見える日高山脈に魅せられ、開拓農家としての厳しい生活の合間に、身の回りの草花とともに、日高山脈を描き続けた。1956年に彫刻家・峯孝に見出され、翌年、札幌で個展を開くと脚光を浴び、農業を止めて画家としての生活を始めた。作品は飛ぶように売れたという。
 坂本直行が人気画家になったかどうか、人から高く評価されたかどうかはどうでもいい。そんなことがなかったとしても、彼は描き続けたに違いないからである。彼が職業画家となったのは、あくまでも「結果」に過ぎない。結果として彼は人気画家になったが、絵を描くことの原点、すなわち、「絵が大好きだ」「どうしても身の回りの草花や日高山脈を描きたい」という衝動が、彼の絵には濃厚に充満している。テレビの画面越しではあるが、私もそんな彼の絵と人生に感銘を受ける。
 更に、私は無言館を思い出した。長野県上田市にある戦没画家たちの絵ばかりを集めた美術館だ。以前、館長である窪島誠一郎氏の講演を聞きに行った時のことは、このブログにも書いた(→こちら)。「日曜美術館」(2020年8月16日)でこの美術館を取り上げた時の録画は、授業でも何度か使ったことがある。
 それらの中で、窪島氏は「展示されている絵を描いた若者は、反戦平和や平和運動のために描いたわけではない。彼らが描いたのは、その人・物を愛していたからだ。絵は批判にはならない。愛するものしか描けないのが『絵』の性質だ。これは、それを愛することができる自分を描くことでもある」と述べていた(講演とテレビで言葉は少し違うが、内容としては同じ)。
 おそらく、坂本氏や高校生の絵を見ながら私が感じていたことも、それと同様である。確かに、「どうしてもこれが描きたい」というのは、絵と対象に対する愛である。また、それらを描くことを通して描かれている自分、すなわち彼らの個性もまた魅力的だったのだ。絵を描いた生徒がどんな生徒か、一人一人会ってみたいなぁ、とも思ったけれど、多分、それは蛇足になるだろう。作品が全て。それでいい。